振り返ってみると、幼少期からずっと「書くこと」が好きだった。

特に手紙。母親や、幼稚園で毎日会う友達にさえ、毎日のように手紙を書いていた。学生になってからは頻度は減ったが、それでも、卒業式や成人式、記念日など、ことある節目には手紙で自分の思いを伝えてきた。今でも文通が趣味だ。

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これまでの人生、「書くこと」に救われてきた。つい先日、学生時代の恩師から手紙が届いた。数年ぶりの連絡だった。私の近況を尋ねる内容と、卒業時に私が恩師に書いた手紙についてだった。
卒業時、私は恩師に、学校生活の感謝と、卒業後に自分がやりたいと思っていることについて書いた手紙を渡していた。その手紙のことを思い出してくれたらしい。
「やりたいことは、その後順調に進んでいますか。」
この手紙を受け取ったとき、私は途方に暮れていた。難病と診断されてから数年経っていたが、病気の状態はあまり良くなく、自分の生産性のなさと、将来への不安に絶望していた時期だった。

正直、恩師からの手紙を受け取るまで、自分が卒業時に書いていたことなんて忘れてしまっていた。目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまっていた。
しかし、この手紙を読んで思い出した。ああ、そうか。私はこんなことをやりたいと思っていたんだった。過去に書き残しておいたことが、私を引き戻してくれた。思いがけず、私の道しるべになってくれたのだった。

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手紙とは別に、5年以上書き続けているノートがある。日々の中で感じたこと、悩み、モヤモヤなどを書いているノートだ。
私は体力もなく、心のキャパも少ない。ノートに書き出すことによって、その抱えているものを外に出し、自分が壊れてしまわないようにしてきた。
片付けをしていたら、4年ほど前のこのノートが出てきた。今までこのノートを読み返したことなどなかった。胸の内を吐き出すためだけのノート。読み返す気も全くなかったのだ。
何気なくパラパラとめくると、悩んでいることはいつも大体同じ。そんな中でも、過去の自分はずいぶん幼いなと思ったり、それはちっぽけな悩みだよと思ったり。
同じような毎日を過ごしていると、自分の変化はなかなかわからない。だけど、過去の自分が書き残した胸の内を見ていると、あの頃よりは成長できているのかもしれないと実感することができた。
今の私だったら、過去の自分に何と声をかけてあげるかな。大丈夫、私はちゃんと前に進んでいる。
そう思えたのも、「書くこと」を続けてきたからだ。

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私はこれからも「書くこと」を続けていくと思う。でもそれは、「過去の自分を振り返るため」でも、「自分の道しるべにするため」でもない。手紙やノートは、図らずも今の私の道しるべとなってくれたが、書いていたその当時は「今現在」のことしか考えていなかった。
私が「書くこと」を続ける理由は、単純に「好きだから」だ。その気持ちから私の「書くこと」、そしてそれを続けることが始まった。その気持ちは過去も今も、そしてこれからも変わらないと思う。