写真との距離感は半径128cm。私の両腕を広げたくらい。手を伸ばすには遠くて、捨てるには近すぎるような、距離。私の、可愛いへの執着を測る値。

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カメラを始めたきっかけは「自撮り」だ。小学校3年生のときに初代iPhoneが発売され、中学校入学の頃には体感7割の中学生はスマートフォンを所有していた。

当時から女の子たちは、自分の「可愛い」を残すことに必死だった。私も例に漏れずいそいそと自分の写真ばかり撮っていたし、それを周りの女の子たちよりも上手であると自覚していた。

写真に映えるお洋服は、メイクは、髪飾りは。私の青春は自撮り写真が起点となり、楽しい思い出と共にたくさんの「可愛い」自分を手元に残した。どうしても誰かに見せたくなって、それでもインターネットに載せる勇気はなかった。

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その見せびらかしたい欲を満たしたのは、初めて出来た彼氏の存在だった。自撮り写真を見せると彼はいつも可愛いねと言ってくれた。アヒル口が似合っているだとか目が大きく見えるだとか、具体的に褒められるものだから参ってしまっていた。

ふふんやっぱりね、私は可愛いの。他の女の子の自撮り写真と比べても可愛いのだろうか。他の女の子の写真を見せてみる。すると彼は、「盛れた度合いで言うと勝っているけれど、実物はこの子の方がきっと可愛いと思う。」と、気まずそうに顔を背けた。

そうか、確かに自撮り写真に映る人は可愛い。見返すと手元のそれらは全て加工が施されていて、鏡に映る私とは赤の他人であった。

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彼とはとっくの昔に別れたけれど、私は周りの女の子を見ると卑屈になってしまう。この子可愛い、あの子も可愛い、無加工で映ったってへっちゃらなんだろうな。私の周りの友人たちは所謂美人ばかりで、それもコンプレックスを増長させた。そんなことしても何にもならないのに。いや、何かにしよう。私は、「可愛い」自分を諦めてでも、誰かの「可愛い」に触れたい。

そこからの私はがむしゃらだった。高いお化粧品もお洋服も買わなくなって、バイト代はほとんど貯めた。身体とお肌にいい食べ物はもったいないから安くてお腹が膨れるものを食べた。

あっという間に30万円近くのカメラが手に入り、私の瞳には美しく着飾った少女たちがいて、それらは「作品」になっていった。コスパがいい趣味である。カメラは買うと壊れるまでは使い続けられる。流行りのある服や、消費期限のあるコスメを買うよりよっぽどいいじゃないか。

この子は可愛い、あの子も可愛い。いいなじゃなくていいね!になっていく。楽しい。楽しくないはずがない。3年間、撮った女の子の総写真数は3.5万枚になっていた。紛れもなくすべてが宝石のように眩しくて、PC画面が宝石箱に思えるくらいで。

この写真可愛い、あの写真はエモい。何かが満たされていくのは本当だった。でも、そこに私はいない。私ものぞき穴の中でひらひらスカートをなびかせたかったのに。そう思うと、宝石を生み出す魔法の機械は、冷たい手のひらをさらに凍てつかせるだけの鉄の塊になっていた。

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カメラを少し辞めた。代わりに身体にいい食べ物にお金をかけるようになった。するすると痩せた。それでもコスパの悪い買い物は嫌だったから、見た目をコンサルティングしてくれるお店で似合う服やお化粧品なんかを教えてもらった。教えてもらったものだけを買った。

そんなときふと、可愛くない私を自覚させた元カレを思い出した。何年も前の私とは違う、あか抜けた私を見たらどう思うだろう。いつもより無理をしてオシャレをし、ぎゃふんと言わせる準備は万端に、早速会ってみた。

彼は当然ぎゃふんとは言わずに、普通ににこやかに喋って可愛いねなんておべんちゃらは言ってくれた。なんだつまらないなんて思いながら帰り道、駅のトイレに入るとぎゃふん。声を出したのは私だった。可愛い。頬がピンク色で肌がつややかで、ふっくらしてるものの華奢な女の子。全身鏡で自分を見たのは久しぶりだったし、酔っていたのも本当だが、紛れもなく無加工クリアしていたのだ。

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写真との距離は半径128cm。撮るのをぱたりと辞めてから本調子が中々戻らない。撮られる側も始めてみたけれど、私が見つめていた「可愛い」にはまだ到底叶わない。いつか、半径64cm位になっていたらいいなと思う。