私は、大学進学を機に田舎から上京した。私が2年前まで住んでいた町は、車がないとコンビニにも、スーパーにも行けないような小さな町だった。周りは山に囲まれていて、民家よりも桃畑や葡萄畑の方が多い町。竹とんぼ作りが趣味という職人のようなおじいちゃんがいたり、毎朝、自主的に小学生の集団登校を見守るプチ警察官のような人がいたり、隣近所がみんな家族のような町。その町では、周りの人間の誰もが知り合いで、知らない人なんて1人もいなかった。その町は、何にも無くて、何でもあった。「自然豊かでいい所」「空気が美味しい所」。そういう言葉で表現される、その町の景色が私は何よりも好きだった。天然水みたいに透明で、それでいて、自由に鮮やかな色が溢れていた。
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1月。寒さが本格化してきて、その分空気が澄んで星の輝きが増す冬の夜11時半。高校2年生の時、勉強に疲れ果てた塾帰りに友達と見た星空が今でも忘れられない。その日は、少しだけいつもよりも空が近くて、手を伸ばせばすぐにでも星に届きそうな感覚があった。「星、掴めそうだね」「私は、オリオン座、掴みたいな」と白い息を吐いて、冗談を言って笑い合いながら、満点の星空に向けて友達と思い切り手を伸ばしたことを今でも覚えている。確か、あまりの寒さにすぐに現実に戻り、伸ばしたその手を光の速さで、制服のポケットに仕舞うまでがセットだった。その夜に、何気なく撮った1枚の星空の写真が「私のおまもり」だ。
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私は大学生になり、生まれ育った町から離れて、あの頃は当たり前だと思っていた広い空に輝き、降り注ぐような星々が当たり前ではないと知った。私が今住んでいる、高いビルが立ち並び、夜でも明るいこの街では見ることができない景色だった。この街で見あげる空は、少し狭くて、星の輝きが遠くて少ない。そのことに気づいた時、何気なく撮っていたあの時の1枚の写真が特別な1枚に変わった。
全然、綺麗になんて撮れてはいないし、むしろピントが外れていて、少しぼやけているあの星空。奇跡の1枚とは絶対に言えないような写真。当然、特別な日の特別な1枚でもなくて、当たり前にそこにあった日常の1枚。でも、その写真を見ると、写真に写る星空に励まされて、あたかも星空に包まれているように、何だか温かい気持ちになる。私にとっては、世界中のどんなものよりも効力があるおまもりの1枚。
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周りに知り合いが1人もいない慣れない環境での1人暮らしに疲れ果てて、何かにすがりたくなった時。バイトで派手に失敗してどうしようもなく落ち込んだ時。大学の課題レポートが終わらなくて、今すぐ現実逃避したい時。何かに悩んで、くじけて、自分に負けそうになった時に、ふと気づくとその写真を見つめている私がいる。限りなく広い空一面に輝き、私を包み込んでいたあの日の星々を思い出し、自分の悩みなんて本当にちっぽけなものに思えてくるから。写真を見て、元気をチャージして、また顔を上げて新しい一歩を踏み出し、頑張る。いつの日からか、「おまもりの1枚」が私の行き先を照らす道しるべとなっている。私の心を強く輝かせてくれる。
私の生まれ育った町には、見上げるほど高いビル群も、煌びやかなセレクトショップも無いけれど、生涯、私の心に残る温かく、美しい景色があった。それだけで十分だと思えた。私は、今日も高いビルに囲まれたこの街で、少し狭い空の下、あの町の、あの星空をおまもりにして生きていく。いつの日か、あの町に恩返しができる大人になって、またあの町へ戻りたいと思う。