私は20歳、ぴちぴちの女子大生。

しかし、今まで恋をしたことがなく、たとえ芸能人でもかっこいいと思うことは滅多になかった。

2022年、年末の歌番組を両親が録画していた。年末年始アルバイト勤しんでいた私は1月中旬に何気なく家でみかんを食べながらそれを見た。自分の興味のあるアーティストのみ見ようとしていたので、早送りで見進めようとした。

しかし、番組のオープニングのみ気になったので、そこは標準速度で流していた。これが彼、私の推しとの最初の出会いだった。

私と彼の邂逅

私の推しのグループがトップバッターで歌い始めた。

はじめは流す程度で聴いていたものの、元気をもらえるような歌詞に、丁度アルバイトで疲れ切っていた私の心に染みた。

同時に推しの歌う番になったとき、彼の声、顔を初めてまじまじと聴いて見て、私に、電流が走った。

彼はかっこいいと言われる顔であることはぼんやりと把握していたが、こんなにも自分に刺さる顔だとは思っていなかった。

癒してくれるような、でもどこか儚いような声にも魅了された。

そこから私は彼の「沼」に どっぷりとハマっていった。

初恋の幕開け

好きな人がいること、恋していることってこんなにも楽しいんだ、と感じた。

生活している上で嫌なこと、上手くいかなかったことがあっても、推しのことを考えたらそんな事どうでもよくなるし、頑張れる。

確率なんてほぼ0に等しいかもしれないが、もし彼に遭遇してもいいように、日々自分に合うメイクを研究したりその他の自分磨きをしたりなど、可愛くなる努力をするようになった。

彼が生まれた土地に一人で旅行に行った時も、ただただ感動し、心が浄化された。
推しに出会って私の幸福度、生活の質は右肩上がりだった。

「推す」をサボったら

しかし、2023年下半期、私がアルバイトの掛け持ちを始めたり、大学の課題に追われたりなどして、推しに費やす時間、いわゆる「推し活」の時間が減ってしまった。

唯一継続しているのは一日の帰りの電車で彼のブログを見ることだ。スマホで、しかもイヤフォンがなくても気軽に見られるから。

もちろん、彼への愛が薄れてしまったわけではなく、そのブログを見ることで元気をもらっているし、彼の文章の表現の仕方や絵文字の使い方、句読点の入れ方でさえ愛おしく感じる。

それでも、推し始めた頃よりも「推し活」が減ったからなのか、外出時メイクをしない日が増えたり、イライラするとすぐお菓子を食べてしまったり、そもそも日常的にストレスを抱えやすくなった気がする。

右頬に3つ、左頬に4つ出来たニキビがそれらを象徴している。

再び、推し活に本腰を入れた日

そんな中、12月25日、クリスマスは夕方からバイトになったので、午前中は自由な時間が出来た。そのため、たまりにたまっていた、推しが出演している録画、過去のラジオ、雑誌に時間を費やした。

涙が出た。

私が最近知らなかったこと、推しの近況、最近のビジュアル、そして久しく聴けていなかった声。

この瞬間、私はクリスマスではあるが、今一番幸せなのは私なのではないか、いや、そうに違いないと確信した。

この瞬間に決めた。2024年、私は「推し活」を怠ってはいけない。彼を追うためにも、そして彼を推している私自身の幸せのためにも。