私の場合、直感はだいたいあてにならない。ゆえに運命とかは素知らぬ顔して掌の中に転がり込んでくるか、だいたい気づかぬうちにけつまづいていて巻き込まれる羽目になっていることが多い。

この人だ!と思って付き合った人は既婚者だったし(相手が既婚を隠していた)(もちろん別れた)、この職場!と思って就職したところは存外ブラックだったし(言ってしまった)(適応障害になった)、あんなに苦手に思っていた写真を今は心地よくすら感じている

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言い訳もしない、余計なことは言わない。だから言わせてほしい。神様はいるか分からないしこの世界は理不尽にあふれているし、だいたい好きな人には振り向かれないかろくでもなかったりするし(単純に男を見る目がないだけかもしれない)、平等に不平等な構造なんだと思う。

直感を信じない。
経験則や知識、感覚に裏打ちされているやもしれぬ「直感」。それを信じないという選択は、一見すると愚かにも思えるけれど、一方でごくフラットに己を見つめるということだと考えている。「己を信じすぎない」というのは私には効くらしい。私の場合に限るかもしれないが。

そうそう、それに関連してこのほど、27になる際面白い経験をした。
27。そう、みなが結婚を焦り始める年齢である。私には焦りはなかった。先のエッセイにも書いたように普通になれなかった人間であるということもあるし、単純にひとりが楽だということもある。

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私は27目前の誕生日ひと月前に、婚活を始めた。矛盾しているように思われると思う。しかしご安心いただきたい。婚活に玉砕したかっただけである。30を目前にして、結婚に焦りはないけれども30を過ぎてから結婚したいという気持ちに万が一、億が一転じた際に、「20代のあの頃婚活しときゃあよかった!」を封じるための一手であった。

まず手始めにお見合いパーティー。ここでいいな!と直感的に感じた人と付き合うことになった。2週間後、別れた。主に価値観のすり合わせに失敗した。それから肌感覚で大切にされてないとか感じてしまった(ここでの詳細は省くがこの話はまたいずれどこかで)。

私には鋭利な「直感」がないだけでなく、男性を見る目がない。過去の恋愛遍歴からもようやっと自覚した。だから再度始めたマッチングアプリでは、自分からアプローチすることをやめて、アプローチしてくれた方の中から相手を探すことにした。傲慢に聞こえるかもしれないけれど、ある意味それが楽だったし私はそれだけ自分の婚活に関心が薄かった。

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そこで出会った今付き合っている彼氏――典型的な恋愛馬鹿だと笑ってくれて構わない、彼はめちゃくちゃいい男である――よりも、正直最初の方はより深くときめきを感じた人は数人いた。しかし、文字での会話が続いて電話をするようになっていつの間にか付き合っていて今に至った。互いに付き合おうの一言もなく、明日、ペアリングを受け取りに行く。なぜだろうか。

直感を信じない。それはきっと、この場合、彼が2歳年下であるとか(私は年下は考えられなかった)、実家暮らしであるとか、様々な条件で足切りをせず、また色眼鏡で見ずに、全ての人とフラットにやり取りをしたことだ。そうしていつの間にか、本当にいつの間にか彼が「こちらを見つめてくれていた」のだった。何も強要せず静かに隣に居てくれること、私の存在を肯定してくれること、一緒にやりたいことが増えていくこと。静かにただし切々と。
だから私は「直感を信じない」。綺麗事ではなく、それはきっと悪いことではない。
流されているのでも抗っているのでもなく、自分をフラットにみつめているということなのだ。