「寝ること以外にスマホから身を離すのはどのくらい前のことだろう?」

スマホから一分離れると、二分間の心理的安全感を無くせる。インフォメーションがないのに、ついつい見てしまう。授業や会議を欠席したかのように。

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元々不安な性格が故に、大学に入って、一人暮らしを始めて、事情によって引っ越しして……ぼうっとして何もわからない二年間を過ごしていた。毎朝起きてからまずスマホでSNS を開き、「ニュース」を見て、聞こえがいいように「知識の成長」と言っているのがインフルエンサーの話で、興奮を求めているのかもしれない。

「社会に出る以上、仕事を愛する人でなければ」と思い、長期インターン先グループで、OJT から新たなメッセージがあるのかが分からずにいて暇な時、スマホのスクリーン越しにウェブサイトやアプリをずっと見ている。経済ニュースをみれば何かを発見することができるという思いがあった。「百億に値するアイデアは一瞬であたまをよぎる」。他の社会人も読んでいるのだから、自分も読まなければ、すぐに時代の流れから外れてしまうのと同じだ。

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「家に帰ったら、すぐにスマホを充電すべき!」 。スマホがないと眠れないから。

緊張、不安、内面的な目まぐるしさが渦巻いていて、情報は毎日頭の中で爆発しているが、 何の役にも立たず、リアルの生活には何の変化もない。

その問題を意識し始めた時、自分は既にスマホに「誘拐」されていた。そいつは代金は要求しなかったが、時間、生活の一部分を奪った。

この問題の深刻さに気づいたきっかけは、視力の低下だった。 自慢するわけではないが、以前趣味で射的で10個あたりすることがあったが、今では活字がぼやけずに本を読むことさえできないのだ。振り返ったところ、この何年間ずっとスマホを手放さず、常にネットから新しい知識を得られ、新鮮なものを受け入れ、他人とイノベーションについて話す時にまともな話をできるようになったと言える。

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しかし、この2年を経て、私は変わっただろうか? 事実に基づいて、それが私に何をもたらしたのか?客観的に分析した結果、視力が低下したことを除けば、仕事や生活に大きな変化はなかった。スマホがないと問題分析能力はさらに悪くなった。二年間もスマホを利用してブレインストーミングをやっていたのに、いざという時に有益な情報はひとつも思いつかなかったのだろうか? この2年、私は何をしていただろうか?

のち、私はだんだんとスマホを見ないようにした。毎日少なくとも15分間、独立して考える(言わば「瞑想する」)時間をとっていた。時には知らず知らずのうちに眠りに落ちる。

意識的に思考しないように訓練し、学校やインターンの後の帰宅は、簡単な料理を作ってい
た。どんなに忙しくても、自分を治療するために料理の1品か2品を作った。最初は失敗の連続だった。塩加減や食材の切り方もぐちゃぐちゃだった。しかし、料理の時間は「知識」といった自分自身を消耗するモノを考えずにいられる。「生きている」という実感を感じていられる。

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今では視力も徐々に回復し、能動的な思考力も格段に上がり、料理の腕もだんだん上がった。 自分の心境の変化はよく分かっている。

スマホを完全に手放すことは不可能と言える。このような情報社会では誰もスマホを手放すことはできないが、心にもっとゆとりを持つべきではないか。

もし人が自分の生きたいように生きたいのであれば、生活に対する最も基本的な尊重を持つべきだ。人間性は自主的な思考に基づくであり、芸術であり、すべて生活から生まれるのかもしれない。