「東京」ダンボールにこの2文字を書いて、わたしは道に立っていた。

以前ゲストハウスでヘルパースタッフをしていたときに、「ヒッチハイクで来ました!」という人が何人かいた。わたし自身はヒッチハイクしようと思ったことは1回もなかったし、まずヒッチハイクしている人に会ったことさえなかった。

しかしそこがゲストハウスの魅力、当たり前のようにヒッチハイクする人たちが来るのである。それも1人ではなく、1ヶ月に何人かはいた。

「ヒッチハイクってできるんだ!」わたしにとっては衝撃だった。

ヒッチハイクしてきた旅人に話を聞くと「ペンと紙があればできる」と。確かになるほど間違いない。旅人たちの楽しそうな姿を見て、道中の一期一会の出会いを聞いて、どんどん興味が増し、やってみたい!と強く思うようになった。

それでもできるのだろうか、自分にそんな勇気はあるのだろうかともちろん躊躇した。ネットで調べると女1人でやるのは危ないと書かれた記事も出てくる。しかし、「やってみたい」この気持ちワクワクはどうしても止められなかった。

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次の月、ちょうど石川県の加賀市に行く予定があった。帰った後の予定も詰まってなかったので、ヒッチハイクをしてみようと思い立った。

加賀には知り合いがおり、自分の将来の選択肢を考えに行った。そこで引きこもりの支援をしている人と出会った。元々話を聞くだけで時間をもらっていたが、意気投合し、そのまま家に泊めていただけることになった。そこでヒッチハイクで帰ろうと思っていることを話すと、段ボールとマッキーペンを用意してくれ、さらに近くのサービスエリアまで送っていってくれた。

今思えば、この出会いからわたしのヒッチハイクは始まっていたのかもしれない。まずは名古屋まで行こうといただいたダンボールに「東京」と大きく書いた。書いたところまではいいが、この段ボールを持って、人の目につくような場所に立つ勇気がなかなか出ない。人の目も気になるし恥ずかしい。しかしもう後戻りはできないし、何より帰る手段がない。

心を決めて、「東京」と書かれた段ボールを掲げ、ヒッチハイクが始まった。

ヒッチハイクでは様々な人と出会った。

友達の引っ越しの手伝いで家具を運んでいた人、単身赴任から帰る航空自衛隊の人、大学の先生。ヒッチハイクしたからこその出会いがたくさんあった。

2時間待っても誰にも乗せてもらえず暗くなり、野宿を覚悟していたときに、声をかけてくれご飯まで食べさせてくれた人がいた。ここは東京方面に行く人が少ないからと、わざわざ高速に乗って違うサービスエリアまで乗せてくれた地元の人がいた。お金ないの?大丈夫?とお金がなくてヒッチハイクしているのではないかと本気で心配してくれた人もいた。

ヒッチハイクで出会った人たちはみんな本当に優しかった。ヒッチハイクは何者かわからない人を車に乗せ、閉鎖空間の中で同じ時間を過ごすため、乗せる側にもリスクがある。それでも「乗っていいよ」と声をかけてくれたことが本当にありがたい。

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わたしは乗せてもらってお金を払うわけでもないし、何かを提供できるわけでもない、ただ乗せてもらうだけ。それでもわたしがヒッチハイクしている姿を見て「頑張れ!」「気をつけて無事に帰ってね!」と応援してくれる人がいる。

わたしはこのヒッチハイクで大きな自信を得た。一歩踏み出せば、新たな世界が広がり素敵な出会いがそこにはある、そしてわたしはやろうと思えばなんでもできると。

しかしそれ以上に、社会にはこんなにも優しい人たちがいる。何も返すことができなくても応援してくれたり、力になりたいと思って手を差し伸べてくれる人がいる。そんな人たちがいる日本もまだ捨てたもんじゃない、と目見張る思いだった。

この経験からその後もわたしは何度かヒッチハイクをしている。その度に感動し、感謝し、自信をつけ、強くなっている。

今度はわたしがヒッチハイクしている人を乗せる側になりたい。出会いが生まれ、世界が広がるこの瞬間と出会えることを楽しみにしている。