先日、数ヶ月ぶりに友人と会った時のこと。
SNSで見つけたお店に入り、綺麗に盛り付けられたケーキを目の前にした私たちは、「わぁ」と思わず歓声をあげていました。
目の前にコンと置かれたケーキは、美味しそうだし、とても綺麗。品のあるお皿や重厚感のあるカフェのテーブルと相まって、まさに芸術作品のようでした。
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その光景を見た私の手は、何気なくバッグの方に伸びていました。スマホを取り出して、ケーキの写真を撮ろうとしたのです。
でも、私は、誰かと一緒にいる時は、あまりスマホに触らないように心がけています。友人の様子をうかがいながら、スマホを取り出そうか取り出すまいか少し考えていました。彼女もスマホを取り出したら、写真を撮ろう、と思ったのです。
そして、彼女だって、こんなに感激しているのだからスマホを手にするはずだと私は信じきっていました。
けれど、隣に座った友人は、ひとしきり感激し終わると、「いただきます」と言ってそのまま食べ始めました。
綺麗なスイーツを、撮らずに食べる。その様子は、私の目には何だか新鮮に映りました。とはいえ、写真に撮ってから食べなくてはいけないという法もありません。普通のことのはずなのに、友人の行動に驚いていることに気がついて、私は、はっとしました。
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綺麗な料理を写真に撮ることは、どうやら、私のなかでは癖のようになっていたようです。なぜ写真を撮るのか、ということすら考えず、無意識で写真を撮ろうとしていたのですから。
私は、写真を撮らない彼女の隣で自問しました。「なぜ、今、写真を撮ろうとしたの?」と。答えは、すぐに出ました。「覚えていたくて」。
そう、私は、幸せな瞬間を覚えていたいのです。だから、スマホやカメラのレンズを向けるのです。綺麗な料理に、美味しそうなスイーツに、美しい景色に……。
でも、綺麗なケーキを食べた記憶は、美味しかった記憶は、彼女と過ごした時間は、写真に撮らなければ消えてしまうでしょうか?
そんなことはない、ときっと誰もが即答できるでしょう。ただ、写真には保険のような安心感があるのも確かです。
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もし、写真に残さなければ、こんなに綺麗なケーキを食べたんだよ、と誰かに伝えることは難しくなるでしょう。お皿にちょこんと載ったケーキの美しさを、1年後も完璧に覚えていられることもないでしょう。
写真に撮れば、いつだってスマホの中にその瞬間が、その光景が、残るのです。
でも、写真に撮らなかったからといって、思い出は弱まったりしません。
無意識に写真に残すのではなく、感動を隣にいる友人と分かち合いながら、料理と自分たちだけの時間を楽しむことだってできるのです。
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写真を撮ることは好きです。でも、撮らないことも好きかもしれない、と私は思いました。
撮らないことで、最初から最後まで、自分の目でじっくりとその景色を味わうことができるからです。
もしかしたら、写真に撮らない方が、記憶に深く残るかもしれない。バッグから取り出しかけたスマホを、私は、そっと元に戻しました。友人にならって、自分の目と舌で楽しんだケーキの思い出は、今も、私の中に鮮やかに残っています。