亡くなった祖父が「一年の計は元旦にあり、目標は必ず元旦に決めること」とよく言っていた。だから私は必ず一年の目標を元旦に決める。
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今年もそうするはずだった。
一月一日の朝、家族みんなで母お手製のお節料理を食べた。その後は支度をして例年通り神社に行った。4月から大学4年になる私にとって今年は人生の道を決める年になる。だからおみくじはとっても重要で、いつもより少し緊張しながらおみくじを引くと、大吉だった。何より、願いはかなうという言葉にとってもうれしくなった。いい年になりそうだなと思っていた。
しかし、2024年1月1日はこれまでの人生で最悪の元旦になった。16時すぎ、緊急地震速報がテレビに映し出された。震源は同じ石川県の能登だった。しかし私が住む金沢と能登はかなりの距離がある。いつもなら少し揺れを感じるかどうかのため、皆さほど心配しておらず、実際この地震は少し揺れた程度だった。
ちょうどテレビではサッカーの試合が終わり、監督のインタビューが流れているタイミングだった。「見たい人も多かったやろうにな」と父が口にしたとたん、全員のスマホが大音量でなった。緊急地震速報を知らせるJアラートだった。これもすぐおさまるだろうと思っていたら、今までに感じたことのない揺れが襲ってきて、急いでこたつの中に頭を入れた。揺れが収まり、もう一度テレビに目をやると、それは最大震度7の大地震だったと分かった。
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こんなに揺れてもなお何が起きたのか全く分からなかった。日本地図のほとんどに数字が書かれたマップを見てもまだ理解できなかった。「津波警報が出ました」という声でハッとした。それまでのトーンとはうって変わって、「今すぐ逃げてください」と叫ぶ様子に正気を取り戻し、ここで大変なことになったと気づいた。
そして、それは大津波警報へと変わった。「テレビなんか見てないで、今すぐ逃げてください。」といった呼びかけなど、必死に彼女が叫び続けた後、無言の時間があり、別の人へと声が変わってしまった。
3日がたった今でも余震は続いている。
私の家は、ものが少し落下しただけで皆怪我することなく無事だった。
しかし震源に近い輪島の親戚は今日やっと無事だと分かった。家はほぼ倒壊してしまったそうだ。同じく輪島の友達は「何とか生きてた」と昨日やっと連絡がついた。
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大吉を引いたときは、「小さいころからの夢だったアナウンサーになる」というのが今年の目標になるだろうと考えていた。
しかし、私の目標は変わった。私は今年、人の命を守るためにアナウンサーになろうと思う。この大地震が起きなければこんな目標は持たなかった。地域に密着した、金沢の魅力を伝えるアナウンサーになりたいと思っていた。もちろん、これもわたしがやりたいことだ。だけど、あのアナウンサーがいなかったら、私はずっとパニック状態で、もしあのまま震度7より大きな地震が起こったなら、命はなかったかもしれない。
間違いなく、私はあのアナウンサーがいたから正気を取り戻すことができ、救われた。あれだけ叫んでくれたからこそ逃げなきゃいけないと思った人がいたはずだし、少なくとも私はそう思うことが出来た。
もちろんアナウンサーがいるからといって全員の命が救えるわけではない。今回も既に84人の方が命を落としてしまった。それでも、いないと救えない命があると思う。私の声で命を救いたいと思った。
地震のせいで、初めて元旦に目標を決められなかった。間違いなく今までの人生で最悪の始まり方だと思う。しかし皮肉にも、その元旦に地震があったからこの目標になった。無ければよかったのに、という思いもあるが、起きてしまったことは変えられない。だけれど未来は変えられるかもしれない。私は2024年、人の命を救うためにアナウンサーになる。