オーボエの本番がある日は、かならず師匠からもらったフェイラーのハンカチをポケットに忍ばせるのが習慣だった。学生時代は、フェイラーのハンカチなんて高級品を日常使いできない貧乏性な私だったので、本番の日だけそれを使う、という、それはとっておきのおまもりだった。14歳から23歳までみっちりと師弟関係にあった私の先生とは、卒業後はもちろんオーボエをめている今も交流がある。先生は、ことあるごとにプレゼントをしてくれていた。オーボエの用品に、ハンカチ計2枚と、使わないからと譲ってくれたネックレスとお揃いのピアス。せっかくだからと思い切ってピアスを開けると、さらに追加でピアスを3つ。先生にもらったものは、全部私のとっておきのおまもりである。

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誰かからプレゼントをもらう、もしくは、自分が誰かにプレゼントをする、という行為はとっても神聖で尊いなと常々思っている。母も節目節目に色んなものを贈ってくれた。大学に進学したときはMCMのバッ。ドイツに短期留学に行くときは、一緒に行ったクリスマスマーケットで見つけた、蜂の形の琥珀のペンダントトップ。大学院進学が決まって留学するときは、Tiffanyのスマイルのペンダントだった。どれもこれも大事に残している。バッなんて4年間使い古したからボロボロだ。

お金もなかったし、人間関係もわりと希薄なので、友人とプレゼントを贈りあうことは滅多にないのだが、ひとつ思い出深いものがある。ちょうど私が体調を崩して、そろそろ神頼みを始めていた頃、「メダイの女神」たる存在を知った。メダイのネックレスは、人からもらうと奇跡が起こるのだそうで、フランスに留学中の友達に贈ってもらえないだろうかと打診した。彼女は二つ返事で快諾してくれて、割とすぐに手紙にそっと忍ばせて送ってくれた。そのメダイのネックレスと2つおまけでつけてくれたチャームは、ずっと大事にしている。ちなみにお返しには、彼女にリクエストされた本をプレゼントした。先日は彼女に「彼氏が一平ちゃんを食べたがってる」と言われたので、今度送る予定だ。

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基本的に「要らんもん、要らん」と思っているので、要らないものを贈られそうになったときは、ついつい断ってしまう。しかしプレゼントを贈ることはとても好きで、贈ると決まると本気で悩む。送りたいものを見つけていたのならば良いのだけれど、贈ること先行の場合は、悩みすぎて結局決めきれないときとかもたまにある。

唸るほど熟考して閃いたときはなかなか快感だし、たくさん悩んで決めたものを喜んでもらえたら嬉しい。使ってもらえているのを見るとさらに嬉しいし、そのことに気付いてからは、贈られたものは、その人の前で必ず一度は使っているところを見せるようになった。みんなも同じように喜んでくれるので、私の喜びも2倍である。

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もらって嬉しいものといえば、私はスイカ柄のものを長らく収集しているのだが、それが周囲に浸透すると「スイカを見ると思い出す」などと言われるようになり、スイカグッを見つけたらひょっと買ってくれたりすることも。可愛いスイカグッたちは、スイカ柄の小さいリュックの中にパンパンに仕舞われている。あのときはありがとうございました。

他人からのGIVEほど、尊いものはない。もらったものを通じて、その人とずっと何かの縁が続いてるような気がして嬉しいし、同時に素敵な思い出として残り続ける。29年間の人生の中で、本当にたくさん与えられてきた。これからは与える側にもなっていきたい。私は一体、何を与えられるんだろう。私が与えた何かが、誰かの大切なおまもりになれば素敵だ。誰かの何かで固められてきた私が、次の誰かの何かを固められれば、ようやく私も人生の意味を見つけられる気がする。