東京の県境を接する埼玉県民として生まれたわたしにとって、東京というのは決して遠くないけれどどこか現実感のない、不思議な場所だった。いつもテーブルには乗っているのに口に入れたことのない料理みたいな、知っているし手も届くのによくわからないもの。子供の頃父親が飲んでいたビールを不思議そうに見ていた感じに似ているかもしれない。

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中学から都内に通ってはいたのだけど、23区外だったので、やっぱり東京っぽい東京は自分からは少し遠かった。そんなわたしと東京を近づけてくれたのが、東京地下鉄、通称東京メトロだった。

東京メトロには24時間(当時は1日)乗り放題券というのがあって、それを使って東京をあちこち探検するという遊びを思いついたのが高校1年生の時。大体池袋か高田馬場まで出てから地下鉄の券売機でそのフリーパスを買って、今日はどこに行こう、と考えを巡らせる。行き先を決めて乗ることもあれば、駅名をしりとりで繋いだり、目をつぶって路線図を指差した先の駅に行ったり……今聞いても楽しそうな遊び方だ。

本当にいろんなところに行った。東京タワー、浅草雷門、上野動物園、たくさんの美術館や博物館、東京大学、皇居外苑、湯島聖堂、新宿御苑、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、築地場外市場、国会図書館、明治神宮、その頃はまだスカイツリーは建設中だったなあ。

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まだ大人になっていないわたしでも、自由にどこでも行けるのだ、というのを教えてくれたのが東京メトロだった。こんなに広大な日本の首都で、たった600円払えば大体のところに行けるなんて!夢みたいな切符。まるで大人がするのと同じみたいに、こんなふうに街を歩いていいのだと、今思えばいい意味での「誰も私を見ていない場所」東京を享受していたなあと思う。

もうひとつ思ったのは、カラオケやボーリングや映画館だけが遊びじゃないということ。一歩知らない街を歩くと、それだけでワクワクすることが山ほどあるのだなあという原体験だった。この間、池波正太郎がわたしが生まれた頃に書いたエッセイを読んで、まあ、おんなじだわ!と嬉しくなったことがある。

幼い頃の池波少年は、東京の地図を本屋さんで手に入れてから東京のさまざまな場所に出かけるのがとにかく楽しく、お小遣いを貯めては市電に乗り東京のあちこちをぶらぶらしていたらしい。わたしと違うのは、それが小学校高学年の時だというのだから、恐れ入るのだが……。

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あれから10年以上が経った今、わたしはひとりで海外旅行も、車の運転もできるようになったけれど、基本的にやっていることは高校生の頃の延長だ、と思う。知らない場所に行って、初めて見るものに心を躍らせては、また次の街に繰り出すのだ。

頭の中に広がる地図を次々と持ちかえ、海外をホッピングしたり、九州をぐるっと回ったり、そんなスケールで動くこともあるけれど、それは単に地図の縮尺が違うだけ。広い世界の方が格上だ、ということはないと思う。

知らない場所に赴くことは、わたしの人生で何よりもの楽しみだ。それを教えてくれたのは、紛れもなく高校生の頃の東京メトロ。JRでも都バスでもなく、あの一見コンパクトに張り巡らされた鉄道網で都内の主要部に大体行けてしまう絶妙な地図の広がりが、今でも頼もしく、いつかの探検の日々を思い出しては、今でも時々切符を握りしめてホームに立つ。