気付いたらいつもスマホを手にしている自分が、時々嫌になる。
街中を歩きながらスマホに夢中な人や、横断歩道を渡っている時でさえスマホに釘付けな人。最近は、子どもの機嫌をとるために、スマホやタブレットを与えている親を見ると、「自分が親になった時はこうなりたくないなぁ…」なんてぼんやり思ったり。
電車の中を見渡せばスマホにしか気を配っていない人を見ると、「あぁ、自分もから見たら、こんなに醜いのかな」なんて思ってしまうことも。
時には、上司から休みの日にも連絡が入り、スマホを携帯することを間接的に強要されることに嫌気がさすことも嘘ではない。

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なんでも調べられて分からないことを知ることが出来て、写真や動画で想い出を見返せて、いつでも連絡がとれる便利なツールである。
その反面、スマホ中毒のように朝から晩まで片手にスマホを握っていないと、なんだか安心出来ない自分もいる。まるでスマホがないと、生きていけないダメ人間みたいで。

何かを想い出に残すときも、自分の目で実際に見て心に残すことよりも、スマホで動画を撮ってメモリーに貯めることに必死だったり。そんな「瞬間」の積み重ねの毎日だけど、動画で瞬間を貯めるより自分の目で見て心に響く瞬間を残した方が、人生遥かに豊かになるのではないかと強く思う。
人生もっと楽しめる大事な瞬間を、スマホに夢中になることで逃しているんじゃないか…とさえ思うことも。

ふとした瞬間に、「一旦、スマホをしまってみたら?」と、心の中の自分が問いかけてくる。
そうしてスマホから離れる時間を意識的に作ると、普段気付かなかった光景が目に入る。
小さな季節の変化や香りに、小さな幸せを見出したり。
いつも気に留めていなかったことが気になったり、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
そうした、ふとした「なんでもない瞬間」が、忙しく過ぎていく日々の中で心を落ち着かせてくれて大事だったりする。
「小さな幸せ」を独りで味わいたい時にこそ、私は意識的にスマホの電源をオフにする時間をつくる。

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特に私がスマホの存在を忘れられる場所は、旅行の「移動時間」だ。
それは、車の中だったり、飛行機の中だったり、電車の中だったり、主に乗り物に乗っている時間だ。
見たことのない景色に、聞こえてくる音に、新しい香りに包まれて、いつも以上に五感が研ぎ澄まされて、普段と違う外の景色に目が離せない。
スマホに費やす時間が惜しいほどに、外の世界に釘付けになれる時間。
スマホを手放しスマホの存在を忘れることで、非日常をめいっぱいに味わえる。
そんな、スマホの存在を忘れられる旅行中の移動時間が、私は大好きだ。
そしてこれからも、そんなスマホを自分から進んで手放せる時間を、意識的にでも作っていきたいと思う。

全てを手に入れられる便利なスマホの存在を忘れられる時間を増やして、心から小さな幸せを感じられる時間を手に入れるのだ。