選択肢がないことにストレスを感じる人間だった。
例えばリクルートスーツ。真夏日にストッキングを履いて、ジャケットまで着込んで家を出た。ドアを開けた瞬間、ムワッとした空気が顔にかかる。道中ですでにブルーだったのに、面接も特段手応えは得られなかった。
最悪な気分だ。どうして、どうしてこんなに立場が弱いのだろう。家を出た瞬間から、頭の隅に「屈辱」の2文字がこびりついて離れない。五反田駅のホームで涙をこぼし、思わず同期に電話をかける。ひとしきりなぐさめられたあと、笑い話にしないとやっていられなくて、忌まわしき黒スーツのままカラオケに行き「宙船」を歌った。
ヒールを脱ぎ捨て、もうどうにでもなれよ!とストッキングを剥ぐ。足の指を伸ばして、血が通ったところでようやく、私の手元にオールが戻ってきた気がした。
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何がそんなに悔しかったのだろう。結局、「私が選んだ」納得感がなかったからだ。リクルートスーツ着用に完全同意していれば、こんな風に泣いたりしなかった。心の底では意味不明だと思っていたのに、我が道をゆく勇気もなかった。髪をなでつけて外見を整えられ、品定めをされる商品の気持ちになったことがあるか。こちらには選択肢がない。脳裏には「屈辱」がこびり付いたまま、悔しさをどこにぶつけたらいいのか分からなかった。
それから5年が経過する今、オールを手放してしまいそうになる瞬間は日常的に訪れる。
例えば、会社員としての暮らし。会社員生活は恐ろしいことに、一度レールに乗ればよっぽどのことがない限り終点まで行き着くという。私にはそれが恐ろしい。毎日の些末なプレッシャーや人間関係に押しつぶされ、ワクワクする時間と心を削られ、自分に備わっていたはずの選択肢をどんどん忘れていく。人生をメイクする意欲を少しずつ削がれて、今日も痩せこけた亡霊が仕上がっていく。
3年に及ぶ同棲生活も、オールを手放してしまうきっかけになりうる。お互いが気遣いあって、パートナーシップと平和な暮らしを存続させることが同棲であれば、自然と主語は「I」から「We」に移行するからだ。誰が悪いということはないのだと思うけれど、風呂に入らず寝てしまいたい夜だってあるし、折衷案ではない、こだわりの家具と暮らしたい。
四六時中「We」が主語になっていたから、「I」のスピーカーはずいぶんボリュームが絞られてしまったみたいだ。
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だから2024年は、「自分で決める」元年にしたい。誰の言葉も引用せず、背中を押されることを望まず、「普通はこう」であることに惑わされず、自分だけの言葉で決めることを自信というのだと思う。
正直なところ、社会に出るタイミングで心のバランスを崩してから、自分らしく生きることをずっと恐れている。自分の気持ちに正直になった結果、大怪我をした。だから、自分の選択は全て間違いなのではないかと、肩を抱えて震えているのだ。
ここ数年、特に労働に関するあらゆることにおいて、「これって普通?」「我慢できない私がおかしいの?」「社会人ってそういうものなんだ」と自分の外に答えを求めた。その結果、私を私たらしめていた軸はホロホロと崩れていって、輪郭があやふやになった。身体に凝縮されていた私の成分は世界に溶け出していって、二度と会えなくなったものもいるだろう。あの頃はリクルートスーツ以外の選択肢がないことに泣いたが、今は、リクルートスーツに適合できない自分が悪いと泣くだろう。社会通念は自分の上位にあって、それに則って生きられる人も大人に見える。何度も「自分らしさ」を取り戻そうとしては、プレッシャーや不安に押しつぶされる毎日に引き戻されていく。
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だからここで宣言したい。2024年の私は、やりたいことをやったらいいよと私に許可を出す。今までずっと、誰かに許可を出してほしかった。あなたは正しいと背中を押してほしかった。背中を押してくれる言葉を探そうと、本を読んだり、映画を見たりした。だけどそんな行為が何の意味もないことにも気がついている。言葉は信念にはなるけれど、背中を押す手のひらにはならない。私の人生に、外部から力が加わることはない。自分だけの答えを見つけて、自分の筋肉で船を動かすしかないのだ。
大海原のどこかをたゆたう私のオール。私の船を、私の手で漕ぎ出す1年にしたい。