大好きだった先輩は帰ってこなかった。
駅員は24時間勤務だから夜勤もあるし、客からのあたりも強い。
不規則な仕事や長時間労働、ストレスから鬱病を発症する人が多かった。

◎          ◎

Kさんもその一人だった。
あんなに優しいKさんが鬱病になってしまうなんて…。
Kさんに怒鳴り散らしていた客が許せなかった。

次は自分が怒鳴られ殴られるかもしれない。
「大卒は良い給料もらっているから」とプレッシャーをかけていた上司が許せなかった。
でも私も人を庇うほど、仕事ができる方ではなかった。

「最近仕事が嫌すぎて~」と話していたKさんに何もできなかった後悔。
結局、私も後を追うように鬱になった。

死にたい。
生きていたくない。
もう気力がない。

「精神科に行く人間は頭がおかしい
3か月間自宅療養を続けていたが治る様子のない私を、気を悪くした母は責めた。

母の名前を遺書に書いた。
せめて今だけでも、大切にされたかった。

そんな時に産業医から通院を指示されたのが、あの病院だった。

「大人の発達障害」「復職支援」

ホームページに並ぶ文字になじみはなかった。
それでも「頭がおかしい」と烙印を押されている気がした。
こんな病院に通わされる私は、やっぱり。

◎          ◎

「行ってきます!」
その病院に通い始めて3か月後、私の体調は確実に回復していた。

「最近元気になってきたね。」
通院を良く思っていなかったであろう母も驚くほどのV字回復だった。
当時最年少だったこともあり、一緒に治療している人たちは本当に親切にしてくださった。

私と同じ駅員で客に血だまりができるほど殴られた人、上司のパワハラから後輩を庇って無理をした人、家庭環境が悪かった人。
発症の理由は人それぞれだが、母に言われ、かつて私が想像していた原因とは全く異なっていた。

病気で仕事を休んではいるものの、一緒に治療したり会話をしたりして頭がおかしいと感じる人なんていなかった。
先生は厳しかったけど、私の話を聞いてくれ、適切な薬を出してくれた。
自宅に引きこもって泣き続けても、母に責められても変わらなかった気持ちが、少しずつ変わっていく感覚があった。

今でもふと思う時がある。
本当に頭がおかしかったのは、誰だったんだろう。

脳波の検査や症状から、私は鬱病ではなく双極性障害という障害だった。
この障害はストレス、不規則な生活、睡眠不足で誰にでも発症・悪化するといわれているので、駅員に戻ることはできなった。

「障害があるってことはやっぱ頭おかしいんじゃん!」と思われても仕方がない。
ただあの後日勤の仕事へ転職し、健常者と同様に週5フルタイムで働けるようになった。
母を含め他人からの棘のある言動にも、前ほどダメージを負わなくなった。
現在は悩み迷いながらも子育てをしている。

◎          ◎

発症前のように「楽しさ」「喜び」を感じられることがとても嬉しい。

ストレス発散方法、怒りのコントロール、考え方の調節。

治療で学んだことは確実に生活の役に立っているし、精神的に安定している人が知っておいても損はない内容だった。
周りからおかしいと言われてもあの精神科に通ってよかった。

◎          ◎

もしこのエッセイを読んでくださった方の中に、毎日辛くて苦しい人がいたらどうか無理をしないでほしい。

転職や退職、引っ越しなど選択肢はたくさんある。
そしてその中に精神科の受診を選択肢の一つとして残しておいてほしい。

強制はしない。
でもその中から、自殺や苦しみ続けることを選ばないでほしい。

精神科に行く人はおかしい人じゃない。