ああ、やっぱりちょっとしか減っていない。

実家から戻ってきて、到着の連絡をしようとつけたスマホの右上を見てふと思う。
電池のアイコンには普段の半分以上余裕があった。  

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私は普段、1日の大半を家のなかで過ごしている。

最近そんな通常営業の日だと、スマホの充電の減りが大きく、かつ早くなってきた。寝る頃には20%ほどになっていたり、途中で軽く充電しないと不安な状態にまでなっていたりすることもある。

途中で充電を挟むのはたいていソシャゲが盛り上がっているときなので仕方がないとして(?)、それ以外の使用を見直したほうがいいのかもしれない。

だって、外出や睡眠で強制的に自分とスマホを引き剝がそうとしているのって、おかしいもの。

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確実に触るタイミングはわかっていて、起きた直後と寝る直前である。それって「おはようからおやすみまで」じゃん……(?)。

朝、充電ケーブルを外すと同時に電源を入れ、Twitterやメールのチェックをする。これは実のところチェックと同時に画面で目を覚まさせる狙いもあり、母が見たら注意されそうだよなあ、と毎朝思いながら、毎朝つける。

そして夜は寝る支度をすべて整え、あとは何もしなくていいという解放された心地のなかでネットサーフィンやらゲームやらをする。寝る数時間前には画面から離れないと眠りに悪影響があるんだよなあ、と思いながら、毎晩インスタやらサイトやらを徘徊する。

しかしこれだけなら充電はそこまで減らない。つまり日中いかに、ちょこちょこと使っているのかということである。

そういえばこの文章を書き始める前に景気づけとしてお茶を飲んでいたのだが、そのお供はスマホだった。直前にちょこちょこ使い発動しちゃってた。

明確に息抜きと設定している時間はこの際百歩譲ろう。より問題なのは、作業中に集中力が切れたときや煮詰まってしまったときの避難場所がスマホになっているということである。

「ああ、あれを調べるんだった」と理由をつけ、あるいは理由なしの強行突破でスマホのロックを解除する。まるで流れ作業のように、アプリを立ち上げる。

ああ、またスマホ見ちゃったよ、と立ち上がる一瞬の間に思うものの、そのまま指はスクロールを始めるのだった。

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そんな有り様なので、日中に小一時間の散歩をしたり「はい、続きは明日!」と言い聞かせて消灯したりしている。行動を律する担当の自分が出てきて、外枠の身体を強制的に動かすイメージだ。

しかし彼女にご登場願わなくても、スマホが放置される日もある。

思いつくのは3パターンで、実家に帰省した日・友人と遊んだ日・手芸に明け暮れた日だ。

1つ目と2つ目に関しては、おしゃべりに花が咲き、ショッピングやらドライブやらで目の前の景色や空間を楽しむことで満たされる。

3つ目は針と糸、あるいは毛糸とかぎ針を持っているため物理的に手が空いていないというのと、パソコン作業と違って煮詰まらずに黙々とできるため、ぶっ続けで数時間やってしまえるのだ。 

こういう日は当たり前だがバッテリーの減りが少なく、寝る前に充電するときになって「あ、全然使ってないじゃん」と気づかされる。そして、普段の私はいろんな空白をスマホで埋めてるんだなあと思うのだった。

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日常生活においてスマホに助けられている部分も大いにある。推し活がその筆頭だが、スマホからしか得られない心の養分は否定できない。

問題なのは、なんとなく開いてしまうこと。明確な目的がないまま、むしろ目的を見つけようとしてスクロールしてしまうことである。

手始めに、お茶用のお湯を沸かしている間はスマホではなくストレッチに変更してみようか。それができたら息抜き時の利用回数を減らしてみるとか、手放す時間を少しずつ減らしていければと思う。 

惰性ではなく本当に必要だと思ったときのみに使ったほうが、スマホと良い関係でいられるはずだから。