大人しくて少しマイペースな優等生。まあ、そこら中にいる属性だろう。
幼いころから私はずっとそんな感じの「普通」の子だ。
とびぬけた才能はないが、大人の言うことはちゃんと聞くし物事の分別もつく、勉強も部活も真面目に取り組む両親自慢の1人娘。当時は努力すれば報われると信じていたし、できないこともできるようになるまでやるのが当たり前だった。
自分にもそれなりのプライドと自負があって、家族には「これくらい普通にできるよ」とドヤ顔をかましていた。
褒められると嬉しいし、もっと褒めてほしかったし。
失敗したら怒られちゃうし、笑われちゃうし。
そんな恐怖からかいつしか完璧を求めるようになり、気づいた頃には「できる」ということ自体が「普通」になっていた。
私にとって、「できない」とは自分の努力の欠如を示すような恥そのものだったのだ。
◎ ◎
高校に入学すると、私の努力では補えないほどに恵まれた才能をもつ人ばかりが周りにいた。定期考査や部活動、コミュニティの中で私が埋もれていくのは仕方ない。受験を勝ち抜いた「できる」人たちが集まっている場なのだから。
それにしてもなぜ彼らは勉強だけでなく運動もできるんだ?
容姿も整っているし、お手本のように学校生活をエンジョイしているじゃないか。
私は埋もれたくなくて、勉強も部活も必死に取り組んだ。恋人もできたし、SNSでの「毎日楽しい生活を送っていますよ」アピールも欠かさなかった。本当は全然そんなことなかったけれど。
何をとってもパッとしないような「できない」側になりたくない、と私の変なプライドはいつも叫んでいた。
こんな愚かなことを考えることもなく、「普通」のことを普通にこなしてキラキラ輝く青春を送る同級生たちの姿が私には眩しかった。
3年間の高校生活を充実させねばならないという使命感にでも駆られていたのだろうか。
宝物のような「普通」の青春を送れないことへの焦りが次第に大きくなっていった。
理想の高校生活を実現させて、今までみたいに「普通」の子として両親を安心させたかった。……いや、本当は私が一番自分を「普通」だと思いたくて安心したかった。
そうやってひたすらしがみ付いてがむしゃらに頑張り続けたが、恋人とは別れるし部活でも大失敗。その挙句テストでは赤点連発の立派な劣等生に成り下がってしまった。
◎ ◎
今まではできていたのに。頑張る方向が間違っていたのかもしれない。
タイミングが悪かったのかもしれない。こんな人間になるはずではなかったのに。
そんなことで?とは思うだろうが、期待していた両親の視線、落ちぶれていく私を見る周囲の視線、そして何より自分が自分に向ける視線にだんだん耐えられなくなった。
毎日怖くて苦しくて死にたくて、自分を否定し続けた。立ち直ることも、誰かに助けを求めることもできなかったし誰も気づいてくれなかった。
そりゃ取り繕った自分の姿ばかり発信していたし。自業自得だ。結局誰も私のことを見ていないし、誰にも必要とされてないのだから死ななければいけないと思った。
食事の量も体重もどんどん減り、止まらない動悸や震えにさいなまれるようになった。苦痛とめまいと恐怖と不安と焦燥感、何が何だか分からなくなってついに何もできなくなった。学校に行くことも、朝起きることも、立つことも。
「頼む!誰か私を殺してくれ!」と常に思っていたが、誰も殺してくれなかったし、勇気もないから死ねなかった。
私はダメ人間なのだ。「普通の高校生」をできなかった私は親を泣かせて迷惑をかけて、生きていることの罪悪感で押しつぶされそうだった。
頼むから病気であってくれと願った。病気という形に依存してでもいいから、「できない自分」を受け入れて救われたかった。
やっと足を運んだ病院で処方された抗うつ薬と安定剤。
何もできずに苦しむ私を、その小さな粒たちが優しく肯定してくれた気がした。
長くて寂しい夜を、どれだけ拒否しても始まってしまう朝を、薬にすがって何百回も泣きながら迎えた。
◎ ◎
今は大学に通ってアルバイトもしているし、落ち込むことはあれど「普通」の大学生活を普通に送れている。かれこれ4年以上は病院に通って薬を飲み続けているが、きっともう飲まなくても平気なのだろう。
それでも薬を求めるのは、私自身を認めるため。
私は「普通」を普通にできる人間ではない。私だけが分かっていればいいのだ。
もしまた私が「普通」じゃなくなったときには、この薬が助けてくれるし守ってくれる。
どれだけ苦しくてつらくても、この薬さえあれば私は解放されるのだ。だって私は病気なのだから。