私は上京2年目の大学2年生である。地元の自然豊かな島根県から出てきて2年、未だ慣れないことばかりだ。私は、自分が今この瞬間を生きていることは奇跡だと思いながら毎日生きている。

こう思うようになるきっかけとなった出来事が、中学1年生の時に起きた。中学1年生の6月、私は20万人に一人の確立と言われる難病を発症した。

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中学1年生の6月、中学校の部活にも入ったばかり、新しい友達にもようやく慣れようとしていた時だった。そんな私の新たな生活への挑戦は、中学校入学わずか2か月で一時中断された。

病気が発覚してからというもの、手術や入院、闘病生活、様々な検査など、私に拒否権などないままに目まぐるしく進んでいった。体力に自信のあった私は、10分も立っていられなくなった。スタイルの良さに自信のあった私は、薬の副作用で10キロ近く太り、顔もパンパンに膨れた。5歳の頃から空手をしていた私は、空手どころか運動すらできなくなった。

完全にすべてを奪われたと思った。私は「終わった」と感じた。「命に関わるものではない」主治医からのその一言だけが、当時の唯一の救いであった。入院期間中の私の病室は、4人部屋だった。4つベッドが置いてあり、私は入って左奥、窓側のベッドだった。

朝は学校に通う学生達、昼は散歩するお年寄り、夕方は学校から帰ってくる学生達、夜は静かな夜空が見える。窓の外には当たり前の日常が広がっている。そんな「当たり前の日常が、自分自身にも早く帰ってきますように」と毎日願うことしかできなかった。

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ある日、私の病室のひとつ空いていたベッドに、10歳の女の子が入ってきた。きっと私よりももっと前から自分の病気と闘っている。それはその子を一目見れば分かった。彼女の体にはこれまでの辛い闘病生活を頑張った証がいくつも見えた。しかし私は、かわいそうだとは一切思わなかった。

なぜなら、その子の目が、笑顔が、太陽のように輝いていたからだ。彼女が私の病室に入ってきてからというもの、私の病室は一気に明るくなった。いつも閉じていたそれぞれのベッドを仕切るカーテンは、一日中開くようになった。

まさに彼女はみんなを照らす、自ら輝く、太陽だった。私の入院生活が始まり約2か月、私は入院をしての闘病生活を終え、残す治療は通院でのものだけとなった。やっとの退院だ。

この日、偶然にもその部屋にいた4人中3人が退院することとなった。一人残ったのは、太陽のようなその少女のみだった。私は彼女とハイタッチをし、また必ず会うことを約束した。荷物をすべて車に乗せ、自分も車に乗った瞬間、涙が滝のようにあふれ出た。この時の感情はよく覚えていない。

退院して数週間たったある日、私は入院していた病院の小児科外来に受診をしに来ていた。主治医の先生を待っていると、外来に、あの太陽のような少女が現れた。一時帰宅が認められ、私と通院日が被っていたのだ。彼女は嬉しそうに、その日も太陽のような笑顔で私の元へ駆け寄り、あるものを私に渡した。

「これ、私が家でお母さんと作ったの!プレゼント!」

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受け取ったものを見ると、それは手作りのキーホルダーだった。その日、私と通院が被っていることも、会えることも誰も知らなかったというのに、彼女は私にそのキーホルダーを持ってきていた。今考えると何故その日にそれを持ってきていたのか不思議だが、その時そこにいた誰も、疑問には感じてはいなかった。

キーホルダーをもらった日から1か月ほど経った。私は徐々に体力を取り戻し、部活動に少しずつ出るようになっていた。2016年10月2日、部活動が午前中で終わった。誰かと遊びに行きたくて何人か誘ったが、全員に断られた。

そのまま家に帰り、家族とご飯を食べた。おなかいっぱいになり、横になってダラダラでもしようかと思った、その時だった。母の携帯に1件のメッセージが送られてきた。

「今朝、娘が天国へと旅立ちました

太陽のような笑顔を持つ彼女の母親からだった。私は頭が真っ白になり、言葉が出なかった。母と父を見ると、泣いていた。時間が止まったように感じた。心の整理がつかないまま、母は私に「最後に会いに行こう」と言った。

何も予定のなかった私は、母と2人ですぐに彼女の家へと向かった。彼女の家で見た彼女の顔は、少し微笑んでいるようだった。名前を呼んだら、今にも起きてきてくれそうだった。私は、眠るように横になっている彼女に何と声を掛けたらよいか、分からなかった。

そんな時、彼女の母が私の背中に手を回し、「この子が空から見守っているから、大丈夫。この子の分まで、強く生きて」と語りかけた。私は眠る彼女に「ありがとう」と言葉を残した。

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彼女の家から出て車に乗った時、運転席側の窓の外からこちらに手を振る何かが一瞬見えた。外には誰もいないはずだ。私は、運転席にいる母に向かって、「お母さん、今私に手振った?」「え?何も動いてないよ

太陽からの「ありがとう」を、お返しにもらった気がした。私がその日の午後、予定もなく、すぐ会いに来られるように、彼女お得意の可愛いいたずらもされたようだ。彼女に最後に会ったのは、キーホルダーをもらったあの日だ。このキーホルダーが私のお守りになった。

彼女とお別れをしたあの日から、私は常にこのお守りをカバンに入れている。高校受験の時にはスカートのポケット、旅行に行く時には旅行鞄、好きな人に告白する時は胸ポケットに。彼女が生きていたら経験するはずだった沢山のことを、一緒に経験するために、私は常にお守りを持っている。どうしようもなく辛いことがあった日の夜、何か大切なイベントの前夜、枕の横にお守りを置いて寝る。

私は、自分が今この瞬間を生きていることは奇跡だと思いながら毎日生きている。欲深い一人の人間だから、すぐに命のありがたみを忘れる。だが、このお守りを見ると自然と大切な感情を思い出す。これからも私は、太陽のような彼女の分まで、彼女の光に励まされながら、自分の人生を生きていく。彼女に負けないくらいの笑顔で。