それは基本どこにいてもできる。私の場合、電車に乗っている時が多い。加えて、それに熱中すると、存在するはずの自分が、どこにいるか分からなくなり、魂だけが別の所に行ってしまったような感覚になる。

さあこれを聞いて、読書を思い浮かべる人はまずいないだろう。それは今のスマホ時代、読書(冊子の)が馴染みないものへ変わってしまったのも一つ原因であろう。いやいや、スマホでも読めますよとツッコまれそうだが、冊子で読むから奥深く、それほどまで熱中できるのです。

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読書をすると必ず出会いがあった。とある日、過去に二度父親が変わり、そして現在は母親がいない高校生の女の子に出会った。その子は意外なことに何の不幸もない、自分は悲劇のヒロインじゃないから、同情されると困ると言っていた。

こちらは可哀想だなと同情していたのに、まさかの裏切りだった。勝手に相手を判断してはいけないなぁと思ったのと同時に、自分の気持ちに気付いていないだけではないだろうか…とアドバイスしたくもなった。

別の日には、箱根駅伝への出場を目指す男子大学生に出会った。その人は初め、人数合わせの為にメンバーに入れられただけの、むしろ運動が苦手な部類の人だった。駅伝ってそんな甘いものじゃないでしょ!無理して身体でも壊したらどうするんだ?と思っていたが、彼は想像以上の成長を見せてくれた。

私はここまで頑張れるかな…駅伝は絶対に無理だとすぐに確信する。直接出会ったわけでもないのに同情したり、自分と比較してみたりするから不思議なものだ。おまけに、主人公らは一切こちらに目もくれない。だから余計、好き勝手に観察しては、関西のおばちゃんみたいに饒舌になって、主人公らを語ることもある。

登場人物からして私たちは、友達や主人公を遠くから傍観しているエキストラAとか、そんなものでもなく、強いて言えば、正体を明かさないまま、主人公を追っている仮面Aでしょうか。

時には比較だけに止まらず、派生して、家族や愛について考えさせられることがある。そう、読書をすると多かれ少なかれ種が与えられ、与えられた種をどうするかはそれぞれ個人の自由。私はスマホを忘れて、その種を最大限に活かそうと考える時間に入る。その時間は自分自身と向き合う時間でもあった。

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あなたは最近、自分自身と向き合う時間はありましたか?特に同年代であるZ世代は、世間から常にSNSをチェックし、インスタやTikTokを見ていると思われているし、実際にそういう人は多いと思う。

私自身も読書をし始める前までは、スマホをぼーっとながめることが多く、考える時間が少なかった。スマホから距離を置き一冊の本を手に取るだけで、自分自身と向き合う時間は簡単にどこでも作れてしまう。仮面Aにだってなれる。

読書をし始めた最初の頃は、世間のステレオタイプに刃向かっているようで、電車内で周りの視線を少しばかり集めている気がして落ち着かなかった。だけど読み始めるとそんなものは一瞬で消え、気付いたらそこは自分のことなど誰も見ていない。だけど、非常にリアルで凄く刺激をもらえる空間に自分がいる。

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実際のところ、SNS上でも色んな人と自由に出会うことは可能である…が、SNSを使う時は自分の興味関心があることを調べたり、同じアーティストを応援している人を探したり、結局は自分と似たような人たちを集め、心地よい空間を作る。

自分とは違う性質の人と接触する為SNSを使う人は、インターネットが普及し始めた当初の期待とは異なり、ほとんどいないように思われ。読書は出会う人問わない!そこも一つ、スマホから距離を置き、読書がしたくなる魅力でしょう。