幸せになるために結婚したのに、離婚したことで幸せになれた人たちを私はたくさん見てきた。親戚、先輩、友達、画面の向こうの有名人。もし私の母がまだ生きていたら、父との離婚を考える瞬間があったかもしれない。

他人事のように考えていた離婚についてだが、大人になるにつれてその距離感は近くなったように思える。とは言っても、まだ結婚すらしていない私が離婚について考えるなんて、お門違いな話でもある。それでも考えてしまうのは、私に好きな人がいる限り、必然としてそこに「離婚」の存在がつきまとうからだろう。

◎          ◎

「あ、この人といると楽しい」そんなことを思った瞬間気になるのは、「相手が独身か」ということだ。昔から年上好きの私。そんな私も二十八歳になり、年上となると大抵が既婚者だ。「いいなと思う人は大体家庭をもっているのね」と落胆することもあるが、「こんなに素敵な人なら結婚しているのも納得」と自分に言い聞かせてきた。

だから、一線を引いてこれまで過ごしてきたが、もし好きになった人が既婚者だった場合、私はその人に離婚を迫るのだろうか。自分の人生をその人に捧げ、相手にも同じように求めるのだろうか。この投稿テーマを目にしたとき、そんな漠然とした疑問が浮かんだ。

そしてその刹那、私の中で答えは既に決まっていた。私は「離婚してほしい」と伝えるだろう。それによって関わる人たちが幸せになるなら、という条件付きだが。

「夫婦に婚姻を継続する意思がなく、夫婦で共同して生活できる見込みがない状態」のことを「婚姻関係の破綻」というらしい。要は冷めきった夫婦のことだ。

情が離婚を阻止しているのか、面倒だから手続きを拒んでいるのか、夫婦によって事情はさまざまに違いないが、そんな中で結婚生活を続けていくのは果たして良いことなのだろうか。もちろん、子どもや金銭的な事情があることも重々承知している。それでも一緒にいることの意味や、お互いにとっての「これからの幸せ」を考えたときに、その状態が最善なのだろうか。

一度も結婚していない私がこんなことを言うなんて生意気だと思われるだろうが、「バツ」がつくことは決して悪いことではないはずだ。「バツの数は本当に愛した数」なんて言葉を聞いたことがある。安っぽい言葉だと受け取る人もいるだろうが、離婚もポジティブに考えることができるのではないだろうか

◎          ◎

離婚するために結婚したわけではないということ、その人と結婚したから成せたこと、愛し合った時間がたしかにあったということ。全てのことにちゃんと意味があって、たとえ離婚する結果になったとしても、その離婚は必ず次の幸せに繋がっている。

そんな離婚の形があるということを私は強く信じている。

実際私の周りで離婚した人たちも、離婚したことで第二の人生を謳歌している。

結婚したら嫌でも一生添い遂げなければいけないなんて、ただ苦しいだけじゃないか。だから、「離れる」という選択肢は手離さず、そっとポケットに忍ばせるような感覚で持っていて良いじゃないか、そんな風に考えている。

私が相手に離婚を迫る時は、その人を本気で好きになった時。そして離婚することで、その人たちが解放されるとわかったとき。「円満離婚」が難しいことはわかっている。それでも、それぞれが幸せになれる道があるのなら、私たちはその道を歩いていきたい。