私がバレンタインを渡した経験はこれまで2回ある。1つは一生忘れたくない思い出に、もう1つはあまり思い出したくない苦い思い出になっている。

1回目は、高校生の頃。憧れだった部活の先輩に手作りのクッキーを渡した。

女子高だったので一般的な本命バレンタインとはちょっと違うかもしれないが、いつも密かに憧れていた先輩にクッキーを渡すのは「あなたに憧れています」と明言するのと同じこと。バレンタインについてまわる振られるリスクこそないが、当時の私にとっては楽しみでもあり、照れくさくもあるれっきとした一大イベントだった。

「チョコにする?でも先輩はたくさんチョコ貰うだろうからあえてクッキーにする?」「お母さんのクッキーがおいしいから作り方教えてもらおう」「ラッピングも可愛くしたい!」たくさん悩んで、一生懸命に作った。

出来上がったクッキーの中から形がきれいなものを厳選して、ラッピングをした。先生に見つからないように制服の袖にかくしてこっそり渡したのも、後日「クッキーおいしかった!すごいね!ありがとう」とこれまたこっそりと手作りのお返しをもらったのも、10年近くたった今でもあざやかに思い出せるキラキラした思い出になっている。

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2回目は、大学1年生の頃。初めてできた恋人にチョコを渡した。

好きそうなものをリサーチし、バレンタインチョコなんて全然詳しくなかったけれどもいろんなお店を頑張って調べて選んだ。渡した時に彼もびっくりするくらい好みにドンピシャなものを選んで、とても喜んでもらえた。

ここまでは良かったのだが、問題はホワイトデーである。恋人と過ごすホワイトデーは人生で初めてだったので、正直ちょっとワクワクしていた。当日は一緒に出掛けて、鳥貴族で遅めの昼ご飯を食べた。すると彼から一言「ホワイトデー、ここおごりってことでいい?」「俺、お菓子とかわからないし」。

一瞬固まったが、そういうものなのかと思って「いいよ、ありがとう」と答えた。でも後からじわじわと悲しくなってきた。

私だって別にチョコに詳しいわけではなかったが、彼に喜んでもらいたくて頑張って色々と調べたのだ。なんの努力もされなかったこと、私を喜ばせたいという気持ちが全く感じられなかったことが悲しかった。

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当時の恋人の対応が悪くないとは言い切れないし、5年以上たった今でも納得しきれていないが、一旦それは置いておいて自分の非について考えてみる。

私の非は「私はこれくらい頑張って選んだのだから相手も同じくらいの労力をかけてくれるだろう」「私が相手に与えたのと同じくらいの喜びを私にも与えてくれるだろう」と勝手に期待したことだろうか。

ただ渡して喜んでもらいたいと純粋に考え、渡すこと自体に喜びを感じていた高校生のときとは違い、相手に見返りを求めるようになっていた。恋人同士なら、バレンタインとホワイトデーは等価交換だと思っていた。そしてそう考えていた原因としては彼にチョコを渡したのが自発的な動機だけではなく彼から「チョコ楽しみにしてるね」と何回も言われていたことと、「バレンタインは恋人にチョコを渡すもの」という一般認識による義務感が混じっていたことがあげられる。

こうして思い出を振り返っているうちに、高校の頃のように、義務感の混じらないバレンタインを久しぶりにしてみたくなった。今年は普段から仲良くしてくれている友人や離れて暮らす祖父に、感謝を込めて渡してみようか。