私は現在女子大に通う大学生である。

私は自分がくじけそうになった時に自分の過去を「おまもり」にして気持ちを高めている。
具体的に何を「おまもり」にしているのか。

それは自分自身の書いた「メモ」と中学生から現在までの「写真」である。

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現在、大学生活やアルバイト、その他様々悩むことはいろいろあるが、私自身の人生のどん底は中学三年生〜高校二年生の間であった。

私は中学入試を受験し、私立の中学高校一貫の女子校に通っていた。
私にとって誰か大切な人が死んでしまうこと以外で一番悲しいことが中学三年生のころに家庭内で起こった。もうすぐ15歳の誕生日というタイミングで起こった出来事だったため、自分にとって15歳の誕生日は人生で最悪の誕生日だった。

当時は毎日泣いていた。その時感じたのは、自分の力ではどうにもならなかった「無力感」、周囲と比べた「孤独感」、この先どうすればいいのかわからない「絶望感」だった。 

家庭内の事情だったため、友達や学校の先生などを含めて誰にも相談できなかった。私の様子がおかしいことに気が付いた先生には話したことがあったが、そのアドバイスや言葉も自分ではどうしようもできないことばかりだった。

心の吐き口がなかった私は自分の持っていたスマートフォンの「メモ」の機能に自分の心境を全部書いてみることにした。自分の感情を文字にすることでかなり精神状態が落ち着いたのを今でも覚えている。

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それから私は何か悩みがあると、文字にすることで冷静になれるため、心情を「メモ」に書き込むことにした。何かつらいことがあると、この「メモ」を何度も読み返し、当時の気持ちを思い出す。これほどつらいことがあっても今、何とかやっているのだからどんな悩みでもある程度は「時間が解決してくれる」から平気だと思うようにしている。

つらい当時を思い出し、今直面している困難も何とかなると自分を励ますことができる、この「メモ」が私にとっての「おまもり」である。

また、私が体力的にいちばんつらかったのが中学高校と約5年間やっていた「部活動」である。

私はバスケットボール部に所属していた。もともと体力がなかったため毎回練習開始時に行うランニングメニューをする前はおなかが痛くなるほど緊張していた。周りは走れているのに自分だけ走れていない状況に劣等感を感じることもしばしばあった。

特に先ほど述べた家庭内での出来事が起こった後は精神的につらかったので部活を辞めてしまおうと考えたことも何度もあった。

しかし、部活動を共にしていた「同輩たちの存在」があったため何とか思いとどまっていた。いつもその子たちと話しているだけで心が軽くなって気分が晴れて、本当に楽しい時間を過ごせていた。

部活動が終わった後、「今日も疲れたね、お疲れ」とみんなで通学路を部活の中のプレーの反省をしたり、他愛ない話しをしながら帰ったのは本当にかけがえのない思い出である。

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今考えると、部活動をやめてしまっていたら本当に精神的にまいってしまっていて、今の自分はないと思う。当時の写真を見返すと、本当に元気が出る。何かつらいことがあっても部活動をしていた当時の写真を見て、当時の記憶を思い出す。つらい部活動を乗り越えられたから、今直面している困難も乗り越えられると思うことができるため、その当時の「写真」は私の「おまもり」である。

今まで「写真」や「メモ」などの自分自身の過去を「おまもり」として挙げたが、よくよく考えてみると私にとって一番の「おまもり」は「姉」であると思う。 

私には、高校卒業まで同じ学校に通っていて部活動も同じだった双子の姉がいる。

双子だからこそ比べられたり周囲の友達との関係性で悩むこともあったが、本当に頼りになるかけがえのない存在だ。

誰よりも親身になって、自分と同じ立場にたってアドバイスをしてくれたり話しを聞いてくれる。普段当たり前にしてくれていることだが、間違いなく私の一番の心の拠り所「おまもり」である。