東日本大震災がきっかけで誕生したという、既読機能。
確かに、相手の安否を確かめるうえで「既読」がついているのかどうかは大きな手がかりになる。たとえ返信がすぐにもらえなかったとしても、「とりあえずこのメッセージを読んでくれてはいるんだ」と、ほんの少しほっとできる。

実際、私も大事な相手としばらく音信不通になってしまったことが過去にあった。
何度メッセージを送っても、未読のまま。LINEの通話機能、080から始まる端末の番号、私物のものとはまた別で持たされていた社用携帯のすべてに電話をかけてみたけれど、いずれも応答なし。「そんな」「まさか」と最悪の事態を幾度も想像した。

しかししばらく経ったら、溜まっていたすべてのメッセージにふっと「既読」がついた。詳細な状況がわからずとも、その漢字2文字が表示されただけで「よかった、生きてる」と安堵したのを今でも覚えている。

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今年の始めには、能登半島を中心に大きな地震があった。
ネットやテレビで流れてくる情報の数々に触れるたび、胸が痛む。「いつどこで何が起きるかわからない」「今日と同じ明日がやって来るとは限らない」そんなことを、ひしひしと感じた。

震源からは少し離れているのかもしれないとは思いつつも、私は新潟の佐渡島に住んでいる友人の安否が心配だった。しばらく既読はつかなかったけれど、メッセージを送った翌日に返事が届いた。津波警報が出ていたため、高台にある親戚の家に移動したらしい。「でも無事です!大丈夫!」の言葉に、胸を撫で下ろした。

遠く離れた地に住んでいる相手とも、手軽にメッセージのやり取りができるLINEはやっぱり手放せないツールだと改めて思った。思えば、学生時代から続く仲であるその友人とは、つまりガラケー時代を共にしたとも言い換えられる。キャリアメールでも連絡は取り合えるが、LINEのほうが遥かにスマートだ。

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とはいえ言うまでもなく、緊急時も通常時も関係なく「既読」は常に機能し続けている。
「既読をつけたらなるべく早めに返事をしなければいけない」という暗黙のルールがいつの間にか身体に刷り込まれていて、これが時折足枷のようにも思えてしまう。自分のタイミングで返信すればいいのかもしれないけれど、「既読無視されていると思われたくないな」と、先回りしてあれこれ心配するようになった。

そのせいで、トークルームをすぐにタップして開くことはせず、まずは長押しして(3D Touch)プレビュー画面を表示させるのが癖づいてしまった。プレビューの状態であれば、既読をつけずにメッセージの内容を確認することができる。
ただ、これはこれで「未読無視」になり得るのではないかという考え方もできてしまうのだろう。私がトーク画面を長押ししてLINEのメッセージを確認しているのを隣でたまたま見ていた夫は「ヘンなの」「普通に開けばいいじゃん」と訝しげな表情を浮かべていた。

既読無視、未読無視といった言葉も、ガラケーを使っていたひと昔前は当然存在しなかったものだ。
スマートさの裏で新たに生まれた、少々やっかいなものたち。
技術がますます発達していくであろうこれからの時代は、そんな「やっかい」に翻弄されず、上手に付き合っていくことが求められるのかもしれない。