私の離婚に対する価値観は、世間一般とはずれている。

両親の離婚を経験した私にとって、離婚は「解放」と「新たな人生の始まり」を意味するおめでたいことだ。

父があまりにもひどい人間だったことと、離婚が泥沼化したことから、そう感じるのだと思う。DV、モラハラ、経済的暴力、浪費、風俗通い、女性蔑視、嫁姑問題など、「離婚の原因TOP10をすべて詰め込みました!」みたいな家庭だったうえに、別居と調停を開始してから離婚成立まで7年以上かかったことを考えると、私がこのような価値観を持つのは当たり前と感じる。

別居開始時は中学生だった私も離婚成立の時には20歳を超えていた。母から来た報告のLINEを見て、その場でお酒を買って祝杯をあげることができる、大人になっていた。

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私は親の離婚という事実についても離婚してくれてよかったと心底思っているし、離婚していなかったら死んでいたかもとさえ思っている。離婚していなかったとしたらまったく別の人生になっていたはずだが、私は離婚したからこその今の人生に満足しているし、あの経験がなかったら今の私はいないと思っている。

泥沼離婚の経験も、そこにわずかな痛みを感じないと言ったら嘘になるが、普通はなかなかできない体験をできたぞ、と面白く思っているところもある。友人たちも、離婚成立時には「おめでとう!」と祝福をしてくれた。今思うとこれは友人に恵まれたからこそのことだが……。

しかし世間では、離婚に対して同情のような、触れてはいけないようなもの、という認識を持っている人が多いように感じる。

何らかの手続きの際に父親がいないと伝えると「失礼しました」「ごめんなさい」といったことを言われるし、苗字が変わったことを、ほんのり知っている程度の知り合いにもあんまり突っ込んではいけないこと、という風に思われている感じがする。

離婚の理由も、親が離婚した事実をどう受け取るかも人それぞれなので、この世間の対応は無難で正しいとは思う。実際に自分がそうした人に出会ったら、余程仲良くならない限り、無難な対応をするだろう。だが、親が離婚しているだけで「センシティブな人」とひとくくりにされてしまうことになんとも言えない窮屈さを感じるのも事実としてある。

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もちろん、今持っている価値観がこれからも変わらないとは思っていない。

もし自分が既婚者になったとしても、この価値観は変わらないのだろうか?自分が離婚する張本人となったときも同じように思えるのだろうか?そもそもこうした価値観を持っている時点で、結婚は向いていないのではないか?……などと考えることもある。

この先、自分の考えと人生がどのように変化していくのかはわからないが、結婚したとしても、離婚したとしても、ずっと独身でいたとしても、そこで得た経験を自分を作る糧とし、面白さを感じられるようなしたたかさと柔軟さをもって、世間的な考えに流されすぎずに前向きに生きていきたい、とだけ思う。