おまもりを買う。それは、今後起こる未来が少しでもいいものであるように願うため。
交通安全は、事故なく安全に今年も過ごせますように。
安産祈願は、無事に出産を迎えて母子ともに健康でありますように。
3年前、私は健康成就のおまもりを買った。癌で闘病中だった父の回復を願って。

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林芙美子の『放浪記』をはじめとする様々な作品の舞台で描かれる海沿いの街、広島県尾道市。黄色い電車が通る踏切を渡り、無数の階段で構成される昔懐かしい細い坂道を登ると、三角の瓦屋根に朱色の柱が見えてくる。標高144.2mの千光寺山に位置する、千光寺だ。

急斜面を15分ほど歩き続けるのは息が切れるものの、登ってしまったら後戻りはできない。たまに立ち止まっては振り返り、尾道水道のやさしい青が少しずつ広がる様を励みに、また上を目指して歩みを進めた。

初めて尾道を訪れた3年前の夏の終わり、父に癌が見つかった。病名は大腸癌の一種である直腸癌。発見された時にはすでにステージ4で、肝臓まで転移が進んでいた。即日入院。けれど手術はできない。あまりに現実離れした事態を受け止めきれず、飛び交う数々の言葉は単なる情報として私の表面を通過した。

そんな家族の一大事件の真っ最中に、娘がひとりで片道5時間以上かかる尾道に行くなんて、今考えれば非情にもほどがある。けれど、どうせいつまで闘病生活が続くかわからないなら、という一種の開き直りが私の尾道行きを後押しした。

 最後の力を振り絞って本堂までの坂道を登り切り、お賽銭を入れて、手を合わせる。何を祈ろうかはあまり考えていなかった。父のことを祈ってもよかったはずなのに、祈ったところで現実が変わるわけではない、と冷ややかな自分が顔を覗かせた。

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参拝を終えると、順路は売店へと続いた。絵馬やご朱印帳、そして色とりどりのおまもりが所狭しと並んでいる。

売店のおばあさんは、私の前に居たカップルめがけて「このおまもりはこういう効果で……で、どっちにする?」と数々の営業トークを繰り出し、見事おまもりをふたつ購入させるのに成功していた。どうやらこの順路での営業トークは、避けては通れないらしい。

ああ、私も何かを売りつけられるんだろうなと半ば諦めて、どうせ買わされるならどれがいいかと考えながらカップルの後に付いた。

私が売店の目の前に移ると、おばあさんはすかさず「縁結びのおまもりはこれだからね」と勧めてきた。たしかに20代半ばの女が1人でお寺を訪れるんだから、独り身で寂しそうな女性だと思われてもおかしくないけれど。恋人には困ってない、と言い返したくなった気持ちをぐっと抑えて、「健康成就のおまもりはどれですか」と訊ねた。

咄嗟に顔つきが変わったおばあさんは、少しトーンを落として「健康成就はこれだよ」と薄紫色の丸いお守りを手に取った。

「じゃあ、これでお願いします」「誰か具合の悪い人がいるのかい?」「今、父が癌で入院していて」「そうかい、よくなるといいね……」

小銭でお代を渡して、白い紙袋に包まれたおまもりを受け取る。その場でおばあさんは目を瞑って、お経を唱えてくれた。言葉の意味はひとつもわからなかったが、父の健康を願ったものであることはわかった。私も軽く目を瞑り、ほのかに香る線香に包まれながら、父の健康を願った。

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あれから父は退院して無事に年を越し、元旦には家族3人で回転寿司に行けるほど元気になった。

このままでいてほしいと願った矢先、通院中の投薬でアナフィラキシーショックを起こし、父はまたもや入院する事態となる。文句を言いながらタクシーに乗り込む父が、家で見た最後の姿だった。それから2週間ほどで、父は亡くなった。

父が亡くなったベッドには、千光寺で買ったおまもりが括られていた。おまもりは父を守ってくれなかった。けれど、おまもりに込めた願いがここまで父を生かしたと信じたい。

このおまもりを返しに再び、あの坂道を登って千光寺を訪れたい。「その節はお世話になりました」と報告するために。