メッセージアプリでのやり取りが何となく苦手。
既読をつけたら返さなければいけない気がして苦手。
返すと次々に返信がくる速いテンポ感は、急かされている気がして苦手。
長文だと同じ量で返さなければいけない気がして苦手。

そもそも文面は残るものだから、言葉遣いや表現には気をつけなさいと母から言われている。でも、「。」とかだけでは素っ気ないと友達に言われる。苦手だ。 

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こうして文章を書いている瞬間も携帯画面が光る。
Aからの通知だ。パッと見て、急ぎではない事を確認する。

面白そうな内容だから早く返したいな。でもなんて返そうかな。
文章として残るから、丁寧に。でも親しみやすく。
文末につける表現は「(笑)」かな、いやAの雰囲気に合わせるなら、「w」かな。
でも「w」をつける癖がつくと、Bさんとのメッセージで「w」を使っちゃいそうだな。
そしたら、Bさんのことだから、「あ~『w』使う人ね(笑)」って嫌味言ってくるなあ。
ああもう面倒だな。Aは優しいし、後で返せばいっか。

これが毎日、私の脳内で行われている。他人からすれば考えすぎなんだろう。
たった数分たった数文字で、いつでもどこでも伝えられる効率的で便利なツールを、自らの考えすぎる癖で、不便なツールにしている。

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そんな理由で、返信を溜めてしまう私は、効率化を求める仕事人とは親しくなれず、マイペースな自由人たちに囲まれ、救われて生きている。私の周りでは、連絡なんてすぐ返ってこないのが当たり前だ。

でも私にとっては、それくらいの不便さがちょうどいい。予定を立てる時は返信が遅いのに、「悩みがある」と送ったら、1時間後に連絡がくる。「長くなるけどいい?」と言ったら、私が文章を送り終えるまで待っててくれる。空いている日を探して、ご飯に行こうと言ってくれる。日頃、お互いの日々を生きることに必死で、連絡は後回しだけど、相手が辛い時には絶対寄り添ってくれる。日頃の返信は考えすぎちゃうけれど、友人のSOSなら、すぐに既読にし、言葉をかけるし、会おうと言う。いつでもは繋がれないけれど、大事な時には繋がれる距離感が私にとっては、大事なんだといつも気付かされる。

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簡単に繋がれるから「すぐ返さなければいけない」のではなくて、簡単に繋がれるけど「好きな時に返信してね」「でも困ったときには助け合おうね」と、そんな風に私の事を尊重してくれる友達には、安心して未読に出来る。

Aにも返信しなければならないけれど、もう夜遅いので、明日にしよう。
また来月も会うから、文章は少なくていいかな。さすがに「(笑)」はつけて送ろうかな。

きっとこうして考えているうちに、また返信が溜まってしまうんだろう。色んなことを考えすぎだと分かりつつ、直せないこのクセに共感してくれる友人のおかげで、未読とか既読とかどうでもいいまま、今日もゆっくり寝ることが出来る。