幼いころから私は内気で、家でいるときと人前に立つときとは全く性格が違う。人格が変わるというよりは、人前ではどうしてもカッコつけてしまう癖がある。これまで出会った人には、ほとんど素顔を見せたことがないと言って良いくらい、オンとオフの切り替えが激しい。幼稚園から小中高、大学という集団のなかでは、周りからのイメージダウンを避けるために、なるべく「大人しくて、気遣いができる子」を演じてきた。それは時に苦しいけれど、女優さんのように、役になりきって生きることを楽しくも思う。家いるときは完全にオフになる。そうすると「ワイワイしゃべる、芸人みたいな子」に私は変身する。そんなオンとオフの切り替えを続けることが、私の特技でもあり生きがいでもある。

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そんな私が人と接するとき、必ず気を遣える人だなという印象を持ってもらうために、話を聞く側に徹することを意識している。しているというよりは、したい。それが永遠のテーマで、好き勝手喋る女よりも、口数が少ないけれど魅力のある女性になりたいという欲をこっそり抱いている。

しかし、大学の授業でインタビューアーとして活躍されている先生とお話したとき、その欲を忘れて生き生きと話を進めている自分がいた。今まで質問されても長々と話すことを嫌っていた私にとって、ハッとさせられた出来事だった。聞き上手の人には素顔がばれてしまうのかもしれないと思ったし、「口数が少なくて気遣いができる、綺麗で可愛い女の子」というイメージを全て叶えようとするのはやめようと、考えさせられたのだ。あれもこれも叶えることは難しいからこそ、たまには素の自分を出すことも一つの魅力であることに気づかされた。今まで内気で人と話したり、自分の意見を押し通したりすることが苦手だと思い込んでいただけで、話せば話すほど、自分でもわからなかった「私の魅力」が見えてくる。そのことを面白く感じながら、役に入り込む女優さんのように振る舞わなくても大丈夫なのかもしれないと思ったのだ。

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決してもてたいから、本当の自分を隠してきたわけではない。どちらかというと素の自分が恥ずかしくて、情けなくて嫌いだったからだ。素顔を見せられる人って数少ないけれど、ありのままの自分を受け入れてくれる人といると本当に居心地が良いはずだ。もちろん好きな人のまえでは、カッコつけたい。素敵だねって思ってくれる人にイメージダウンしてほしくないから、カッコつける。けれど、そんな姿を情けなく思ったとき、私は演じることをやめるし、やめたい。個性を尊重する生き方と、いつの間にか自分で勝手にコントロールして設定してしまったイメージを打ち破るときが、すぐそこまで来ているのかもしれない。もし、そんな日がやってきたとしても、「気遣いができる子」という印象は絶対に崩したくない。だからこそ、外見だけではなく内面も磨くことを忘れずに生きていきたいと思う。

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なぜ私がこんなに気遣いができる人になりたいのかというと、気遣いができる人と一緒にいると居心地が良いし、素の自分でいられるからだ。気遣いできる人はコミュニケーション能力も高くて誰とでも仲良くなれる。だって、居心地が良いから。そんな安心する場所になりたい私は、どうしても気遣いができる人に憧れ続けている。内気だけど安心する場所では、ありのままの自分でいられる。それって奇跡だし、環境に恵まれていることだと思う。いつか誰かの安心する場所になれたなら、今までやってきたオンとオフの切り替えに間違いがなかったといえる。そんな日を迎えるまで、理想の自分を演じてみたい。もちろん、素を受け入れてくれる居場所にたどり着いて演じる必要がなくなっても、憧れを追求していきたい。