最近の私的ビックニュース。小学生の頃からずっと仲良くしていた友達と喧嘩別れしたこと。普段は感情の起伏がなだらかな私もさすがに落ち込んだ。どうしていいかわからなかった。
「もう少しうまく伝えられたら、誤解が生まれなかったのに…」と自分を責めた。「元からこういう運命だったんだ」と自分に言い聞かせた。過ぎたことで取り返しようがないのに、ぐるぐる思考が止まらない。こころのスイッチは一度オンになると厄介だ。名前のつけようのない感情がうまく消化されるまで、なかなか眠れない。
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午前0時、なんとか寝ようとスマホを片手にベッドへ入る。すぐに開いたのはお気に入りの占いサイト。
「私の生年月日は1999年X月...」「彼女の生年月日は1998年X月」
「ニックネームはなんでもいいから、二人とも『あ』で…」
【診断開始】のボタンを押す。結果を見て、「仲違いも仕方ないか」と妙に納得したり、「私にも落ち度があったな」と反省したり。消化不良だった感情が整理され、言語化できなかったもやもやも少しずつ晴れていく。
午前1時半、別の占いサイトを開け、また自分や相手の生年月日を入力し、結果を覗く。書いてあること自体はさっきのサイトと似ている。それでも、何度か同じような文面を読むことで、「これが私たちの運命だったのか」と現実を受け入れられるようになる。
午前2時、他のサイトに移動し、生年月日を入力するが、この作業にそろそろ飽きてきた。結果を見ても、書かれていることを理解できるほどの集中力はもはやない。次に気づいた時、外はもう明るかった。どうやら寝落ちしたようだ。恐るべき、占いのヒーリング効果。
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あのとき、ああしとけばよかった。考え始めても変わらない現実も。この決断がお互いのため。自分が一番受け容れやすい、都合のいい解釈も。不器用な私の意思決定を、占いだけは肯定してくれるような気がする。
自分の下した決断を否定したくなくて、でも、誰かに相談するのはプライドが許さない。何より、そこまで素を見せられる友達もいない。だから、どうしようもない夜は占いにすがってしまうらしい。
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私がこんなにも占いをあてにするようになったきっかけは高校時代にある。高校一年生の私には、ずっと一緒にいた大切な人が二人いた。一人目は入学して最初に仲良くなった、気は強いけど、「彼女なら振り回されてもいいや」とわがままさえも愛おしかった女友達。二人目は毎朝、一緒に通学して、たわいのない会話で笑い合ったり、しんどい時に何を言うでもなくそばにいてくれた男友達。この人たちがいたから、高校一年生の私はずっと笑っていたし、笑えていた。
しかし、高校二年生の冬にはもう、この二人は他人よりも遠い誰かになってしまっていた。理由は今でもわからない。廊下ですれちがってもシカトされ、卒業するまでにまともに話さなかった。共通の知人からは触れてはいけないふたりのように扱われるほどだった。大学生になってからも、高校時代を思い出すたびに、「なんで?」、「ああしとけばよかった…」と何度後悔したことか。しょっちゅう、連れションしたなとか、頭をぽんぽんと撫でられて嬉しかったなとか。くすっと笑えるはずの記憶もキュンキュンできるはずの記憶も、思い出すこと自体,とてもつらかった。
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そして、時は進み、大学四年生の秋。コロナ禍に入り、あまりに退屈で、占いサイトにドはまりした、そんな時期だった。自分のことを一通り占い尽くした私は、何を思ったのか、この二人との相性を診断しはじめた。
ずっと、縁が切れた理由が気になっていたのかもしれない。大切な友達だったから、盛大に祝って、キラキラした瞬間でいっぱいなあの日の日付を画面に入力して、【診断開始】のボタンを押した。結果を読んでまず初めに感じたことは、「私が何かをしたせいではなくて、元からそういう運命だったのかもしれない」ということだった。なんとなく腑に落ちた。これ以上、過去のことを引きずっていても仕方ない。大切な記憶は私の中できれいにとっておいて、前に進もう。そう思えたとき、心が楽になった。
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それ以来、私はなにかと占いに頼る。今日だって、気になる異性からご飯に誘われて、なんだかんだ舞い上がっている。相手が私のことをどう思っているかわからないからこそ、「こうだったら…」という期待や「これでいいのか」という葛藤に、ぐるぐる思考が止まらない。ただ、「過去は変えられないし、未来はわからない」と事実を突きつけてくれる占いだけが、今日も私を良い意味で気絶させてくれるだろう。