こないだ、生まれて初めて仕事をずる休みした。
前日、メンタルがどうしてもバランスを取れなくなって、死にたいと呟きながら大泣きして、不安を和らげる薬を飲んで、死んだように寝ていたから、朝になっても起きあがる気力が、どうしても起きなかったのだ。職場にはしれっと「体調不良で出勤できる状況じゃない」と連絡し、昼頃まで寝た。
昼食は済ませたが、家にいると息が詰まる。姉に「今日は来ないのか?」と連絡し、「行かないけど、逆に来る?」と、返事が来た10分後には家を飛び出して、姉の家に向かった。駅まで姪甥を連れて迎えにきてくれて、姉の家で2時間ほど子ども達と遊んだ。道中、御座候を買って持ってきていたのだが、それを子ども達が好きなタイミングで食べていたので面白かった。子ども達が全力で遊んでくれたので、少し心が和んだ。
夕飯は、ずっと行ってみたかったイタリアンで、ラザニアを食べた。その後、百貨店の化粧品売り場で、ファンデーションとコンシーラーの補充と、リップを1本買ってみた。今までは割と主張の強い赤のリップが多かったので、今回はベージュやオレンジ系の落ち着いた色味のものにした。最後に、地下のチーズ売り場でチーズを買って、家に帰った。
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ずる休み、といえば大学の頃、とても思い出深いずる休みをしたことがある。
それは雪が降る、寒い冬の日のことだった。木曜日は、1限の後は昼過ぎの4限だけという時間割だったから、雪がちらつく京都の街で、これは行かねばならぬ、と何かの使命感にせき立てられるように嵐山に向かった。
憧れの雪の嵐山だった。雪化粧で白くなった嵐山を横目に渡月橋を渡り、目的は「祇王寺」というお寺だった。朝から降りしきる雪は、着いた頃には良い塩梅に積もっていて、祇王寺本殿と有名な苔の庭は、真っ白に雪で覆われていた。そのあとはまた足を進め、「大覚寺」へ向かった。詳細はあんまり覚えていないけれど、大覚寺の大きな池の前に立った時に雪が止み、空に雲間から澄んだ青空が見え、それがただただ綺麗だった。
青春を全力で夢を追いかけることに費やしてきたけれど、体調を崩して会社員になった。
最初はその生活の穏やかさに新鮮さを感じていたけれど、だんだんと退屈に思いはじめ、やがてそれに苦痛さえ覚えてきている。
最近は、何もかも面白くない。 生活は平坦で、刺激が少ない。ジェットコースターのような生活に疲れて、平坦な道を選んだのに、結局こちら側も退屈でしょうがなくなってしまった。苦しくて苦しくてしょうがなくて、いっそこの苦しみから解放されるのなら、なんだって差し上げてもいいくらいだ。
2つの人生のギャップの狭間で、心身の傷は癒えることなく、どちらの扉に手を出せば良いのか決めかねて立ちすくんでいる。
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ただでさえ色々な不運は世界にたくさん転がっていて、偶然その不運に触れて亡くなっていく人たちの報道は絶えない。どうして私が代わりになってあげられないんだろうと、ふとそんな馬鹿なことを考えては、その不運に触れることなく生きてることが、ほとんど奇跡に近い幸運なのだと気付かされる。
くどくど人生について考える私も、大切な私の一部だけれど、それではずっと気を病んでしまう。たまにはずる休みして、「ま、いっか」と思える私を育ててみても良いんじゃないかなと、30歳目前になってようやく思い始めた。
きっとタイムリミットなんてなくて、ただいつかやってくる「死」の瞬間まで、健やかに命の火を燃やし続けたい。
大学時代のずる休みをした翌週、すっぽかした授業の先生が出欠をとりながら「先週はどうしたの?」と尋ねたので、「雪が降っていたので、嵐山に行ってました」と正直に言うと、「誘ってくれたら、みんなで一緒に行ったのに」と笑っていた。そんな先生の余裕が、とても素敵だった。
いつかやってみたい、と思うことは、きっとその気になればすぐできるはずで、それを1つ1つこなすことが、がむしゃらに働くよりも大切なときもある。
今日出来なかったことを嘆くよりも、明日やりたいことを計画したい。さあ、次は何をしようか。