私は、学生時代に家族のような仲間に出会うことができた。

私は小学校から高校まで繋がる一貫校へ通っていた。中学高校では毎年文化祭が開催されていたので、小学6年生の時にも例年通り友達と文化祭を訪れた。そこで、ある部活動に出会うことになる。

その文化祭では舞台部門と言われるダンス部や音楽部、ミュージカル部の文化祭公演があり、その年初めてミュージカル部の公演を見に行った。人生でミュージカルを見るのも初めてだったこともあり、衝撃を受けた。舞台の上で光を浴びて歌い踊る人たちは輝いていた。家に帰ってからも劇中歌を聴くほどに私は完全に魅了されていた。

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それからしばらく経って中学校へ入学し、部活動の勧誘期間へと入った。中高一貫のため、ここで選ぶ部活を基本的に高校2年生で引退するまで続けることになる。中高での学生人生を大きく左右するものだったので、私は慎重に選んでいた。

様々な部活動の体験会へ参加していたあるとき、友達から、「ミュージカル部の勧誘公演に行こう!」と誘ってもらった。しかし、人前に立つのが苦手で目立つことを避ける内気な私とは、まるで真逆のようで、ダンスや歌など私とは無縁だと思っていたゆえに、ミュージカル部に入ることなど全く考えていなかった。ただただ、その公演を見たいという気持ちで楽しみに観にいった。

ブザーが鳴り、幕が開く。小学校6年生で初めて文化祭公演を見た時の衝撃を思い出した。

舞台の上で堂々と歌って踊る先輩たちは、今までに感じたことのないほどにキラキラして見えて、すっかり見入ってしまった。公演が終わるころには、全く興味のなかったはずのミュージカル部にとても惹かれていたのだ。何日も迷い葛藤した。「舞台の上で歌って踊り、堂々と演技をすることが私なんかに務まるだろうか……

それでも惹かれた心は収まらず、入部することを決めた。

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私の5年間の部活人生が始まった。

私の目に映っていたキラキラした世界とは裏腹に、そこには沢山の努力や葛藤、汗と涙が詰まっていた。上下関係の厳しさといえば、いくつもある部活の中で一番であるかというほど。人生で初めて経験する環境で右も左も分からない中でも、必死についていこうと活動に参加した。歌やダンス、演技といった技術面の向上はもちろん、練習を円滑に進めるにはどうしたら良いか、どのような姿勢で練習に取り組むべきだろうか。学年が上がると、後輩を引っ張っていく上で何が私たちに必要だろうか、何が足りないのか、そんなこともたくさん話し合った。練習以外の時間では同輩で話し合う時間を設けて徐々に関係性を深めていった。もちろん同輩に限らず、先輩後輩とも沢山のコミュニケーションを取ることを大切にしていた。

練習は、学校がある日は毎日、朝と昼と放課後にあり、月に数回土曜日にも練習があった。部活がない日にも、同輩と集まり一緒に練習をするほど必死だったし、歌やダンスや演技は私にとって新鮮なものでひたすらに楽しかったのだ。

それから約半年後、初めての文化祭公演。ブザーが鳴り、幕が開く。幕の向こう側で座って見ていた自分が、まさか舞台に立つ側になっているなんて、あの頃は少しも考えていなかった。

緊張と楽しさと、色々な感情が混ざりながらも、楽しく公演を終えることができた。この部活動に入ってよかったと、心の底から思えた。

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文化祭公演が終わると、次の勧誘公演の練習が始まる。この練習中に私は怪我をしてしまった。幸い手術や入院には至らなかったが、数ヶ月の絶対安静を告げられ、部活に参加することができなくなってしまった。それまで当たり前のように毎日会っていた仲間にも突然会えなくなり、練習することもできなくなり、精神的にもダメージが大きかった。それでも沢山の連絡をくれる同輩に毎日救われていた。

怪我で出られなくなってしまった勧誘公演は、私は観客として見に行くことができた。中学1年生の頃に見に行った勧誘公演を思い出し、改めてミュージカル部の良さを感じ、必ず復帰するという気持ちが強まった。

数ヶ月ぶりに会う同輩たちは、全力で駆け寄って抱きしめてくれた。それだけではない、手紙まで用意してくれていたのだ。先輩方からも沢山の手紙と励ましの声を受け取った。仲間たちからの愛を全身で感じた。

私にとって、家族以外で、これほどに自分のことを大切に想ってくれて、私も大切にしたいと思える存在は、後にも先にもこの人たちだけだと感じた。