私はでしゃばりだ。言いたいことを言えない環境が耐えられない。この性格は子どもの頃からで、小学校の授業では挙手をしまくったせいで陰口を叩かれたほどだ。出る杭が打たれやすい日本ではなかなか生きづらい。それでも、特に大人からは積極性があると認められて肯定的に捉えられることが多かった。自分の強みだと思っていた。

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大学3年生の春。卒業論文執筆のためのゼミ活動が始まった。担当教授はパワハラ・モラハラ気質だった。学生には積極性を求めるくせに、発言を全否定する。提案させて却下する。そんな教授だった。言いたいことが言えない、私にとっては地獄のような環境だった。うつ病になった。それでも私のでしゃばりは止まらなかった。教授に否定されることがわかっていても、毎回発言をした。どうせ否定されるとしても、自分の考えを発表することに意味があると信じていたからだった。

ある日、教授にこう言われた。「あなたはセンスがないくせに自信はあるから厄介」。ショックだった。たとえ間違っていたとしても発言すること、考えをシェアすることに意味があると信じていた。しかし、教授にとってはセンスがない発言は意味がないらしい。自分の信念が真っ向から否定され、傷ついた。

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大学4年の秋。卒業論文は追い込みの時期に入った。それに伴って、教授のパワハラ・モラハラも悪化していった。耐えかねた学生が数名ゼミを辞めた。私もゼミを辞めた。うつも悪化し、大学自体を休学することにした。休学中もでしゃばりは収まらなかった。教授に対して、大学に対して言いたいことがたくさんあった。大学のハラスメントセンターに告発を行った。数ヶ月におよぶ格闘の末、教授から謝罪文が送られてきた。個人的には納得したというよりも納得させた形にはなったが、同じゼミの学生からは「実は私も教授の言動は問題だと思っていた」「同じように感じている人がいて安心した」と言ってもらえた。 

うつ病を抱えながらの告発はとても辛かった。できれば教授のことなど考えたくもないのに、毎日考えさせられる。それでも言いたいことを言いたい、間違いを間違いと言いたい気持ちの方が強かった。半年間の休学を挟み、別の教授のもとでなんとか卒業論文を書き上げた。内定先には9月まで卒業を待ってもらった。

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しかし、体調は思うように回復しなかった。内定先からは週5日フルタイムでの勤務は難しいと判断され、泣く泣く内定を辞退することになった。現在は親からの仕送りと週2日の単発バイトの収入で生活している。

1000人に1人。ハラスメントを受けていても、実際に告発まで行動に移せるのは実はこのくらいの割合なのかもしれない。言いたいことが言えない環境と私のでしゃばりがぶつかった結果、私の心身は壊れてしまった。言いたいことを飲み込める性格だったら。どうせ否定されるのなら発言しないことを選べる性格だったら。今の自分とは違う、うまく適応できる性格だったらこんなに苦しむことはなかった。それでも、私は私がでしゃばりでよかったと思う。