私は高校生の時から5年ほど推している人がいる。その人は、ホラーゲーム特化の実況者であり、アラフィフ間近のおじさんである。子どもの頃から母が遊ぶホラーゲームを横で見ているのが好きで、自然とゲーム実況にハマっていった。インドア派の私は、長期休みは夜中にホラーゲーム実況を何時間も見て、夕方に起きては、またホラーゲームの配信を見るような生活をしていた。私の推しとなった人は、あまりホラーな展開にリアクションを取らず、追いかけてくる敵を笑いながら避けるようなおじさんだ。

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はじめは、バイオザード7のストーリーを知りたいがためにゲーム実況を見ていたが、段々とゲーム実況者目当てに動画を見るようになり、気がつけばほとんどの動画を見つくしていた。その人はたまにビールを飲みながら雑談配信をするのだが、ブラック企業を経験した後、YouTubeでの活動一本で家族を養っているという人生経験豊富なおじさんであるため、雑談が聞いていてとても楽しいのだ。四十肩や老眼が辛いという話や、昔のカラオケはレーザーディスクで今よりもずっと高かった話など、普通なら会う機会もないようなおじさんの話は新鮮で面白い。

そんな推しのある雑談での言葉が今でも心に残っている。それは「今ある世界が全てではない」という言葉だ。ブラック企業で働いていたときに、「この会社を辞めたら生活できない」という思考停止で鬱寸前になった経験談をしていた。結果的に営業の成績が上がり、理性を取り戻したことで、社長に直接会社を辞めたいという意思を伝えられたそうだ。そのときのことを振り返り、話していたのが、「会社や学校に行かないという選択肢はないわけじゃないんだよ。友達にいじめられているような状況で、その世界しかないと思って追い込まれちゃう子もいるけど、選択肢を狭めているかもしれない。もちろん学校に行かずに逃げた先で苦しい思いをするかもしれないけど、そこしかないことなんてない」ということだ。

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この話を聞いたとき、私の視界がひらけた。

それまでの私は逃げることは弱さだと思っていた。転校先の小学校でいじわるなことを言われ、休み時間にトイレで泣いた日の翌日も、平気なフリで登校した。母に休むことを勧められても、頑として通いつづけた。毎日が憂鬱なのに、毎日通い続けることが正義であると思っていた。それは私の強さでもあるが、私を追い詰める信念でもあった。自分を苦しめる環境でも、逃げないことの方が楽なのだ。私は精神的に追い詰められたとしても、小学校に行かず人生のレールから外れることの方が恐ろしかった。

結果として、その小学校にいたのは一年足らずであったが、この先就職や色んな人と出会うなかで、苦しい環境にいることもあるだろう。そんなとき、自分は「逃げる」という選択ができるだろうか。日本の精神疾患を有する総患者数は上昇傾向にあり、厚生労働省によれば令和2年で600万人以上いる。心の病は、一度罹ったら一生消えることはない。改善されたとしても、綺麗さっぱりなくなることはないと思う。心の病による休職や人間関係のトラウマは記憶から消せるものではない。実際、私の小学校での記憶は、楽しかった思い出は薄れていき、トラウマのほうが頭に残っている。

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もし、この先とても辛く「逃げられない」と思うような環境に居たとき、推しの言葉を思い出したい。たとえ逃げた先も楽な道ではなかったとしても、精神的に限界が来る前に視野を広げることはできるはずだ。そして、周りの友人や家族が同じような環境にいたとき、「逃げる」という選択を提示できる人になりたい。

雑談配信は、自分とは全く異なる世界の人生経験が聞けるため、自分の価値観がガラッと変わることがある。私の視界をひらいたのは、推しであるおじさんの雑談配信でした。