この時期になると、近所に電飾で彩られた窓が出現する。古びた団地の一角でキラキラと輝くそれに、いつもつい視線を向けてしまう。
そういえば昔、地元の企業がイルミネーションに力を入れていたなあ。親が毎年観に連れて行ってくれたっけ。
クリスマスにワクワクしていたのは、いつのころだっただろう。
クリスマスもプレゼントも楽しみだった、幼いころの思い出
クリスマスと私の接点は、幼稚園のころまでさかのぼる。
通っていた幼稚園がキリスト教だった。ある年のクリスマス、イエス・キリストの降誕の劇をやった。
演じたのはマリアでもヨセフでもなく、ましてやイエス・キリストでもない。天使の役か星の役だった。どっちだったっけ。思い出せないが、どちらにしろ、その他大勢の役。
クリスマスの歌も歌った。「きよしこの夜」を歌いながら、きよしって誰だろうとか、歌詞の「いとやすく」は糸を安く売ってるのかなあ、などと考えていた。幼い私の脳内で、きよしが糸を安売りしている。
幼稚園のころも、小学生になってからも、ごく一般的なクリスマスを過ごしていた。毎年プレゼントをもらった。サンタ宛に手紙を書いてみた年もある。ケーキも食べるし、ツリーも飾った。
やがて大きくなるにつれて、サンタはいないのだと悟った。きっかけはもう思い出せない。
大人になるにつれて、特別な日ではなくなっていった
それから甘酸っぱい思い出をつくることなく、クリスマスはだんだん遠ざかっていった。だいたい、クリスマスはイエス・キリストの記念日だぞ、無関係なやつが浮かれてんじゃねえ、と大変ひねくれた学生時代。さすがに「きよしこの夜」の意味は理解していた。
ちなみに彼氏ができて初のクリスマスは、大学の卒業に関わる重要な発表会……の後片付けの日だった。ネタにすらならない。
観光地で働くようになってから、クリスマスは「稼ぎ時のイベント」になった。
いまは事務仕事になったのでもうやることはないが、表に出ていた時は、サンタ帽やトナカイのツノをつけた。楽しそうな親子連れやカップルとどれだけ出会ったことか。
でも、いま思えば私も、ちょっとだけ楽しんでいたのだ。その浮かれた空気を。
クリスマスにかこつけて、ちょっと浮かれてみよう
子どものころは、何者かになれるのだと思っていた。マリアやヨセフほどでなくとも、特別な何かに。
現実は、おとなになったいまでも、天使だか星だか、その他大勢のちっぽけな役でしかない。
けれど、それでいいじゃないか。天使にも星にも、ちゃんと役割があるのだ。
ここ数年、クリスマスの時期にしか来ない、他の地域のケーキ屋さんのいちごタルトを食べている。ちょっと贅沢なお値段だけど、クリスマスだから良しとする。
クリスマスなのでケーキは食べるし、ツリーは……大きいのは飾れないけど、ちっちゃいやつを置こう。今年のクリスマスは仕事がないから、ダラダラ過ごしてやる。神もそのくらいなら許してくださるだろう。
古びた団地の一角の、輝く窓を今日も見つめる。
クリスマスにかこつけて、ちょっと浮かれてみよう。自分を甘やかそう。
そうすれば、あのころのワクワクが蘇るかもしれない。