昨年、大学2年生になった。
学年が上がってもなお、一限という名の悪魔の時間割に悩まされる。一を争う朝の時間の中で、如何に身支度を終えることができるか。これが2023年の私にとって、大きな課題であった。

家を出る1時間前に起床する。二度寝をしてしまい、15分が経過するのは日常だ。最近の寒さでは、特に目覚ましと同時に布団から出ることは不可能である。

残された45分。

朝食を抜ことはできない。急いで階段を駆け下り、食パンをトースターに入れる。食パンが焼けるのを待つ数分の間に服を着替える。そして、こんがりと焼けた食パンを食べた後。ここからが本当の勝負である。

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残りの時間でやること、それはメイクだ。メイクをすることで、やっと目を開けることができる。事実、起床したときから目は開いている。しかしメイクを始めるまでの私は、絵に描いたニコちゃんマークのような細長い目をしている。メイクを始めて、初めて本来の目力を取り戻すことができるのだ。

私にとってメイクをすることとは、高校生が制服を着るようなものである。
または、サラリーマンがネクタイを結ぶようなものだ。

どうだろう。少しはわかりやすいのではないだろうか。それをしないと始まらない、気持ちを切り替える役割を果たしてくれる。

下地、アイシャドウ、チーク、ハイライト…、メイクにはいくつもの工程がある。そしてそれは、人によって様々だ。そのなかで、私が最も愛しているものはビューラー。メイクの最後の工程としてビューラーでまつげを上げ、マスカラを塗るというのは私のお決まりのルーティーンである。

絶対に欠かすことはできない。

もし忘れて家を出てしまったものなら、下がったまつげに呼応するかのように、私の気持ちも一日中上を向くことはない。

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最近では、それを防止するため、折り畳み式の「持ち運びビューラー」を鞄に忍ばせている。これはまた便利なものができた、と見つけたときは半ば興奮気味で購入した。

しかし、そんな便利なものがあるが、「まつげをあげる」という工程までやり終えて家を出発したい、というのが本当のところである。

やはり、まつげは心とつながっているのではないか。私はこの説を今後も押し続けるだろう。

メイク。それは世間一般には、見た目を着飾るためのものとされているのではないだろうか。 

友達と遊びに行くときには、いつもより気合を入れてメイクをするし、バイトに行くときには少し適当になったりもする。

好きな人と会う日には、瞼にキラキラのラメを足してみちゃったりもする。
見た目、だけではない。実は心を表しているのかもしれない。

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私がメイクをする理由、それはメイクが私を明るくしてくれるから。
私の視野を広げてくれるから。
もう言うまでもない。「私の視野を広げたもの」、それはメイクだ。

メイクをすると、寝ていた目がぱっと開く。ビューラーをして、マスカラをすると瞬きの度に少しの重みを感じる。その瞬間が私は好きだ。

私は自分の気持ちをあげるため、今日もメイクをする。

今日は何色のアイシャドウを使おう。服に合わせてピンク色にしてみよう。そんなことを考える時間も好きだ。

メイクが面倒くさい、そう思う人は多いだろう。今日はすっぴんでいいや、そんな日もある。しかし、そう気分が落ち込んでいるときこそ、メイクをしてみてほしい。そして鏡を見てみてほしい。いつもよりかわいく、きれいになった自分がっている。気分もあがるに違いない。

メイクにはそんな力もある。