突然だが、皆さんは「企業」や「公式」に声を入れたことはあるだろうか。私は何度だってある。この勇気の思い出は、いつになっても、何度でも他の人に伝えたい思いであり、思い出だ。
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私が企業や公式に声を入れるようになったキッカケは、とても強く深く愛したゲームのおかげだった。
意見、バグの報告、ゲームシステムで改善して欲しいところ、推しキャラの好きなところ、推しキャラの周辺情報……。
良くも悪くも、とにかく沢山声を入れたのをよく覚えている。
そうやって沢山声を入れる以前の事。
直筆のお便り以外で声が届くことは無いと思っていた。
字を書くのはすごく苦手だし、そんな下手な字のお便りを届けられても迷惑でしかないだろうと、なにか企業に思う事があってもスルーしていた。
私が愛したゲームはそこそこ致命的なバグが多かった印象がある。「こんなバグがあって……」とSNSで発信すれば、そこでの繋がりや助言のお陰で、「お問い合わせ」欄からパソコンやスマートフォン打ちで声を直接届けられる事を知った。
これなら字を書くのが苦手な私でも声を届けられる。……勿論、直接声を届ける事を疎ましく思う人はいた。なので、その日を境にこっそりと、沢山声を届けるようになった。それに合わせて、ゲームの公式がやっていた番組にも沢山イラストを投稿した。
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投稿や意見を沢山送りはじめてから月日が経った。
あれから投稿は複数回採用され、限定のグッズをその回数分頂くことができたし、公式さんに私の愛をしっかりと伝える事ができていた。入れた意見の方は、相手も我々と同じ人間で制作時間の必要なゲームだったために反映はかなり遅かったものの、叶えられる形で反映してくださった。とてもありがたい事だ。
公式の番組では「○○推しの人」と公式の人から言われ、認知されてしまったのである。公式の人に認知される事は、人によっては嫌に思う事だろう。私自身、そのような人を何度も見てきた。
しかし、どんな形であれ、おたよりを投稿したり、アカウントを公開状態にして何かを発信している時点で既に公式さんには見られているし、見つかっている。そもそもアカウントを公開している時点で全世界に発信していることを我々は忘れがちだと思う。
確実に見つかるのだから、私は公式の人に認知されるのであれば「良い意味」で認知されていたい。
そのために、所謂「二次創作」と言われるキャラクターの絵を描いたり、妄想を発信する事はなるべく慎重におこなってきた。
それに、声を入れずに好きなキャラに不具合となるところが残されたままだったらなんだか悲しく思ってしまう。実際のところ、私が意見を入れていなかった……入れ損ねていたところは結局何も情報が出ず、そのままゲームのサービスが終了してしまっている。
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意見を入れる、声を入れる事はなんら怖い事ではない。むしろとても求められていてためになる事だ。見えにくい向こう側の相手も人間。作品や商品の好きな所を褒められたら嬉しいのではないだろうか。
もしかしたら自分のひと声で、好きだったおもちゃや好きな香りの洗剤、好きだったキャラクター、好きだった食べ物が復活したり、より大きく取り上げられるかもしれないし、今まで自分の住んでいる所になかった店舗だって出来るかもしれない。それが良い声なら尚更強く力になるだろう。
自分一人だけの声が何の力になるのか?なんて、そう思うかもしれない。でもきっとこの裏では、私だけじゃない他の人がごまんといるかもしれないから。
それを信じて私は今日も声を、意見を沢山伝えていく。