上京した春。私は本当に退屈だった。
コロナに押しつぶされそうな世の中。4階の角の狭い部屋にひとり。
そんな日々の中でスマホに表示された「知り合いの店で働かない?」の文字。
私はこの店で彼女と出会うことになる。

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私は駅から離れた路地にある小さなバーで働くことになった。
この店で働いているバイトは私と彼女だけだった。
この店には毎日同じおじさんたちが来るだけで、バイトを雇う余裕があるのかと思っていたが、店長の趣味みたいなものだから好きにしてたらいいよと彼女は言っていた。
彼女は私よりも少し年上で、私は黒が似合う綺麗な人だと思っていた。
初めの頃はひっきりなしに話しかけてくる私に呆れていた彼女も、1か月も過ぎると色々なことを話してくれるようになった。

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高校3年生の秋にひとりで東京に来たこと。
ずっと親とはうまく付き合えていないこと。
今は美大に行くためにお金を貯めていること。
今まで何も考えずに高校を卒業して大学に通い始め、特に不幸でも幸せでもない私にとって、彼女という人はとても新しく見えた。私は彼女を素敵だと思った。
彼女と私は週に5日のバイト以外の時間もほとんど一緒に過ごした。

水族館でクラゲに1匹ずつ名前を付けたり、どの匂いが1番幸せな匂いかを喫茶店で夕方になるまで話したり、図書館でコアラの生態の本を読んでコアラの残念さに胸を痛めたり。

特に私が好きだったのは、彼女の家で彼女が絵を描く横でソファーに座って本を読むことだった。

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彼女の描く絵は綺麗でどこか悲しい絵だった。
彼女は横に居る私に「邪魔なんだけどな」と言いながらも、きっと私が居ることが嬉しいんだろうなという笑い方をしていた。

「私たちって真逆だよね」。彼女はよくそう言った。

家族との仲も良くて、大学に行く支えをしてくれる両親もいて、このままきっと就職する。
彼女にとって私はいわゆる普通の大学生だった。
私は彼女のその言葉が、彼女が私との間に揺るがない壁を作っている様に思えて少し寂しく思えていた。
「真逆の方がうまくいくってこともあるってことだね!」
私はその寂しさを隠していつもこう返していた。

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私が大学三年生になった春。
彼女と私は、私の実家のある栃木県に出かけた。
私は彼女のことを度々母に話していたので、「一緒に遊びに来ればいいじゃない」と誘われたのだ。
私は私の思い出のある場所に彼女を連れた。
私が通った学校。好きだった図書館。オムライスがおいしい洋食屋。学校の帰り道にある公園。
私はその場所ごとにある今まで彼女に話したことのない昔の話をした。
秋になると学校の銀杏の実が落ちて学校に行くのが憂鬱なこと。
図書館では窓際の席が気に入っていつも同じ席に座っていたこと。

オムライスはマッシュルームが入っているときとないときがあって、ないときはあたりだと思っていたこと。
部活に馴染めずに練習に行くふりをして公園で時間を過ごしていたこと。
彼女と巡ることで、それぞれの場所の思い出はより深くなり、彼女に話すことで、楽しい思い出も嫌な思い出も大切なものになった。
それを言うと彼女は「私との思い出にしてくれてありがとね。」と笑い、少し考えた後に「私の思い出も一緒に行ったらもう少し良く思えるかな。」と言った。

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私はこの春に大学を卒業する。

彼女は美術大学への進学が決まった。

私たちが働いていた店は少し前に閉店した。

「やっぱり店長余裕なかったんだね。」とふたりで苦笑いした。
私たちは以前よりも会う頻度は減ったが、今もまだ通り過ぎる映画館から漂うキャラメルポップコーンの匂いを嗅いで「幸せの匂い」だねと言って笑い合っている。
彼女との出会いは私のなんでもないはずだった4年間にたくさんの彩りを与えてくれた。なんでもない日々も彼女と過ごすことでたくさんの素敵なものが詰まった思い出に変わった。
彼女と私はお互いに自分にないものを与え合い補っているのかもしれない。
私たちは彼女の言うように真逆なのだとしても、きっとこれからもうまくやれると思う。
この春休みには彼女の地元にふたりで旅行に行こうと考えている。