私の視界を広げたものそれはダンスとの出会いです。

大学生である現在は他大学のインカレダンスサークルに所属し、日々ダンスに励んでいますが、私のダンスとの出会いは小学1年生の時、地元のダンスチームでした。

下は年長さんから上は50代の大人まで老若男女、幅広い年齢の人が所属し、毎週日曜一緒に踊っているそこには先生という存在はなく、代わりに指導員と呼ばれる高校生大学生が中心となって、振り付けや指導を行なっていました。

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これは兄弟あるあるだと思うのですが、家族ぐるみで仲良いのは決まって歳上の兄弟の友達家族で、歳下の兄弟の友達とは本人と母親など、親子での付き合いのみになってしまう。

私の家族も例外ではなく、兄が2人いる私はダンスを始めるまで、週末は兄達のサッカーの練習や試合に連れ回されることが多く、私個人というより「〇〇の妹」として生活することが多かったです。

そのため一度体験に行ったあとに、お母さんに改めてダンスをやりたい!このダンスチームに入りたいと言った理由も、ここでダンスをやれば毎週兄に連れ回されることは無く、私個人を見てもらえるかもしれないというのも大きかったと思います。

そんな理由で始めたダンスですが、指導員と呼ばれる5個も10個も歳上の人たちが優しく指導してくれて気づいたらとてもハマっていました。

今でも付き合いのある人も多く、世代の違う、私よりも何年も先を歩き、様々な経験をしている人たちの考え方はとても刺激的で、同世代の友達からは得られないものを与えてくれました。

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そのなかでも6歳上のようちゃんとの出会いは今の私を語る上でなくてはならない存在です。ようちゃんは私が入会した時には中学生でまだ指導員としての活動はしていなく、その後も高校生の時は部活に力を注いでいたのであまり関わりはなかったのですが、ようちゃんが大学生になり指導員を任されるようになってからぐっと距離が近くなりました。

今では小学校教師として働いている彼は指導員として、ダンスの技術や振り付け、構成以外にも、考え方やメンタル面でもたくさんのことを教えてくれました。そのひとつひとつが今の私を作っています。

例えば、ある時リーダーという立場を任されて、みんなをまとめなくてはいけないのに、みんなの顔色ばかり伺ってどうしたら良いか悩んでいた時、彼は「嫌われ者になる覚悟を持ちなさい」と私達に言いました。

この言葉の真意はもちろん単純に嫌われ者になれという話ではなく、厳しい発言もみんなのことを思っての発言であれば、きっとそれが必要なことだってみんなわかってくれるから、厳しいことも勇気を出してしっかり自分の意見を伝えなさい、という意味でした。

中学生の思春期、反抗期の時は親や先生の意見には素直に耳を傾けられなかったですが彼の言葉はなぜか素直に聞き入れることができ、何度も私を救ってくれました。

今でも彼の存在は私にとって特別で、兄であり、人生の先生であり、大切な友達です。先日の成人式の時もわざわざ会いに来てくれ、成長した姿を見せられ良かったです。

これからもダンスを通じて繋がった様々な縁を大切にしていきたいです。