ドラマを観るのが、昔から好きだった。でも、ずっと自分の気持ちに、嘘をつき続けながら観ていた。

物心ついた時から、私がドラマを観る視点はずっとずっと「物語」にある。「物語の中」にある。でも、そんなこと言ったら「ナルシスト」とか、「夢見すぎ」って言われそうだから

「あの俳優が好きで」とか「好きなアイドルが出るから」とか。そんな言葉で濁してきた。ううん、濁し切れたことなんて一度もない、蓋をしてきた。

私はずっと、物語を書きたいと思ってきた。

その気持ちが明確なシナリオライター、脚本家というものに属する様になったのは、2016年の1月18日、坂元裕二さんが脚本の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を観た時。その日、このドラマが終わった瞬間だ。

私はそのドラマのセリフを、ペンでノートに夢中でメモした。毎週、毎週メモをした。

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「私がなりたいのはこれだったんだ!」。その時思った。今でもとってある、「いつ恋ノート」だけど、のちに「シナリオブック」というものがあると知った。そこからは夢中で坂元さんの作品を観た。そしてめんどくさいのは、私はなぜかどこかで、その類の才能が自分にあるような気がして、そして今でもそう思っている節があって、どこかでずっと、そのタイミングを待っていた。誰にも言わず、心の中でずっと。

当時は高校三年生で、受験の追い込み時期だったから、大学生になったら書こう。出そう。と意気込んでいた。学部は文学部だったから、趣味が「書く事」の友達もできるかもしれない。物語の中で生きることが好きな友達が現れること、その存在をも待っていた。けれど、実際に入学しても、そんなことはなかった。文学を突き詰めながら、「いわゆる女子大学生」をすることは、イコールでどうしても結ばれなかった。

私が不器用なだけなのだと思う。意志が弱いだけだと思う。だけど私は後者を選んだ。
頭の中に、原稿用紙に、広がる物語は結局怖くて出せなかった。

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ありがたいことに、ライターのアルバイトや、こういう場所で、言葉を紡ぐことはあった。遡れば、幼い頃、読書感想文でも何度も、表彰された。

でも、シナリオコンペに出すのは怖かった。出す手前でいつも、尻込んだ。それは、「弾かれる」のが怖かったんじゃない。だって、こんなにもその時を待っていたんだから。弾かれても、受け止められる。

むしろ、弾かれた方が諦めがつく。

そうじゃなくて、出したことで私が私の中にある、文才を信じていることを、そしてそれが、過信である事を大学の友人や、親に知られるのが怖かった。茶化されるのが嫌だった。「普通でいる」ことさえも難しいのに、飛び出したくなかった。だから私は蓋をした。

その気持ちが暴れ出したのは、去年の今頃。 社会現象にもなった、「silent」を観た時だ。
私の周りの友達が「いいな〜」と言った。

その「羨ましい」は、「紬」に向けたもので、「私も想くんと、イヤフォン半分こしたい!」というものだった。私は逆に、その羨ましさが羨ましかった。「silent」の一話を観た時、その才能が羨ましくて、私は苦しかった。

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嫉妬は同じくらい能力のある対象があって初めて成立するものだから、これは「挑戦しなかったこと」への自分への悔しさと、描いた物語の中を好きな俳優達が、好きな音楽達が生き生きと生きていることの羨ましさだと思っている。蓋をしてきた気持ちが溢れ出した。溢れるというよりも暴れる、という感じだった。本当に本当に、泣きそうだった。

私がずっと、出せずにいるその「シナリオコンペ」は「自称35歳まで」が応募対象になっている。正式にいくと、チャンスはあと8回。

ずっと待っているだけでは、諦めもつかない。

わたしは八回転びたい。七転び八起きだってもしかしたらあるかもしれないと信じて、八回転ぶつもりで。 

 一年越しに生まれた、「silent」の制作人が作った最高の作品を観た後に、この文章を書いた。

待ってて、私の蓋をした夢。

そこから解放してあげる。
でも、恥をかかせたら、ごめんね。

だけど、ずっと待っているだけよりきっと、ずっといいはずだから。