離婚。
十数年前のわたしなら早くしてよ!と言ったに違いない。
両親の仲のいい様子など見たことがなかった。
祖父母も特に仲が良いようには見えなかったし、親戚の婚姻関係にある人たちは基本的に相手になにかしら不満があるようだった。
利害が一致するから、働いていないから、別れないだけなのではないかとわたしは思っていた。
今考えれば別に働いていなくても慰謝料をもらうなりマンションをもらうなりすればいいようにも思うし、なにかしら条件があって結婚したからどうしても別れられないような人もいた。
きょうだい(大叔父など)間の争いはともかくとして、わたしが人生で一番見た喧嘩はヤンキー仲間とか友達ではなくて両親である。彼らの意見が一致するのを見たことはなかったし、基本どちらかが叫ぶなり怒鳴るなりしていた。父親はかろうじて手は出していなかったが、その代わり大声で怒鳴っていた。
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どう考えたって面前DVだ。
そのくせ、父親がいない時に母親から「お父さんがいないと生きていけないんだから」などと言われて好きな髪型や化粧やマニキュアを禁じられたり志望校を変えたりしなければいけなかった。
なんだってあのふたりはわたしを作ろうと思ったんだろう、というのはいまだに疑問である。
父親は結婚して子供を持つのが一般的と思うようなタイプでも環境でもなかったし(もしかすると祖父母からのプレッシャーはあったかもしれないが)、母親はたぶんわたしがどう育っても「理想の子どもじゃない」と思っただろうし、わたしを作る必要はおそらくなかったと思う。
ただなんとなく、親から言われて、そんなものだろう、みたいな理由で楽しくもなく性交渉をしたらうっかり出来たのだと思う。
10歳になる頃には「あんたがいるせいで離婚できない」と耳にタコができるほど言われることになったのだし、じゃあなんでわざわざ産んだんだ、というのは明確ではなくてもその頃からずっと感じていることである。
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そして子どもを連れて離婚する母親なんてこの世にはごまんといるのだし、まさか相談した実の母親が「世間体が悪い」とか言ったからといってわたしがいくら殴られようと罵詈雑言を浴びせられ続けられようと許容して同じ家に居続けたのは不思議でしかない。
そんなわけでわたしはながらく18歳で死ぬ、と思いながら生き続け、なんでこの人たちは離婚しなかったんだ、と思い続け、父親が家に帰らなくなっても離婚しない理由を聞いても明確な答えを返さない母親に苛立ち、しかし数年後に家を出て、その後すぐ結婚をすることになる。
それも、自分が嫌で仕方なかった「わたしが扶養される」というかたちが一番適切だ、という理由での結婚だった(こう書くと身も蓋もないが、実際そうだ)。
いつか離婚するんじゃないかという不安に婚姻届の提出から半年か一年くらいは苛まれていたが、その不安を口にするたびに夫は「そうなってもいずみちゃんがぼろぼろになるようにはしない、金銭的にも絶対なんとかなるようにする」と明言してくれたし、一緒に過ごす時間が伸びるにつれて多少はあったいさかいもなくなり、今では離婚なんて絶対にない、と思いながら、そして働きはしつつも扶養されて、生きている。
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不思議なものだと思う。結婚式を挙げた時、義理の両親からは「喧嘩は必ずあるから」と言われたが、書いた通り喧嘩どころか不満すらたぶんあまり口にしなくなってかなり経つ。
義理の両親も仲は良いし、義理の兄姉も仲が良い上に子どもを育てている。子どもがいるから多少はなにかあるのかもしれないが、少なくとも一緒にいる間に義理の兄姉に男女差なり険悪な空気なりを感じたことはない。
人間はこんな状況で生きることもできるのだった。なかなか世の中そううまくはいかないから、最近できた歳下の友達とは「酒に酔って殴るのとシラフで殴るのどちらがやばいか」などと話したりもしたが、彼女たちには早くからインターネットがあり、助言してくれる友達やしっかり考える力も残っていて、わたしは時々話を聞いて知っていることを話したりする。
離婚が、いまではもうかなりメジャーなことになったとは思うけれど、もう少し楽に手続きができたら良いのではないか、と思うことはたまにある。わたしの母親は離婚しなくても、他の似たような人が離婚できるかもしれない。