オンライン授業明け、大学への通学が辛かった私。そんな私を前向きにさせ、救ってくれたのは「寄り道」でした。

2020年、コロナ禍の自粛期間真っ只中に、私の大学生活は始まりました。

約1年半のオンライン授業を経て、徐々に対面授業が再開。大学に行く日が増えていくなかで、ようやく新生活の始まりを実感するようになります。
しかし、そこで私が経験したのは挫折でした。

超が付くほどのインドア派で人見知り。

そんな私にとって、対面授業は、オンライン授業よりも圧倒的にハードルの高いものだったのです。

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そもそも、ただ外出することですら気が張るのに、満員電車や同年代の学生たちが集まる大学キャンパスに自ら行くだなんて……。当時の私にとっては負担感の塊でした(こういう感覚、分かってくれる人もいるんじゃなかろうか。共感してくれる人がいたら、仲間みたいでとても嬉しいです)。

自分から友達作りのアクションに踏み出すこともできず、周りが少しずつ変わっていく中、ただ私だけが入学時のまま止まっているようにも感じられました。

新たな環境に慣れるのが苦手なタイプだということは元々自覚していたものの、まさかこれほどだったとは。

他人と喋っていたのは、授業での出欠やグループワーク、コンビニでのお会計……それくらいだったと思います。1日に一言二言話せば良い方で、全く声を発さない日だって少なくありませんでした。

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さらに、容姿へのコンプレックスも悩みの種でした。何度、服やメイクの準備をしながら鏡の前で泣いたことか。家を出ても、他人の視線ばかり気にし勝手に落ち込んではその度にトイレへ駆け込みました。

こうした生活を続けていくうちに、大学という場所は、私にとって息苦しく辛い場所になっていったのです。

増えていく欠席、止まらない落単(大号泣)。
今思えば、当時は自己嫌悪と焦りで完全に病んでいました。

いよいよ限界を迎え、退学や休学を本格的に検討。父に最後の相談をしたときのことでした。

「もっとゆるく生きろ」
「楽しむ努力をしろ」 

父のこのアドバイスが、当時の私にストレートに刺さりました。
厳格で体育会系の九州男児の父。

「鬱は甘え」みたいな価値観をもつ人だと思っていたから拍子抜け。てっきり怒られるものだとばかり考えていましたが、返ってきたのはポジティブなアドバイスだったのです。

自己嫌悪や親への罪悪感でいっぱいだった当時の私には、それがある種の「許し」のように感じられました。もっとゆるく考えて良いのか!

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そして、それまで「学校に行きたくない」と嫌なことばかりにフォーカスしていた私にとって、「楽しむ努力」は完全に盲点でした。

嫌なことばかり考えて、他の楽しい選択肢のことをすっかり忘れていた。このことに気付けたのは、人生における大きな学びだと感じています。

とりあえず一旦退学や休学は止めにして、楽しむ努力を始めてみよう。父との話し合いは、このような結論で終わりました。

そうして始まった新学期。
私は「楽しむ努力」として、これまで全くしてこなかった「寄り道」をしてみることにしました。

レストランやレトロな喫茶店、雑貨屋、服屋、カラオケ。初めのうちは慣れない1人行動にソワソワすることもありましたが、美味しい食事やかわいい服との出会い、新しいアクセサリーやCDをゲットする喜びなど、そこには確かな「楽しさ」がありました。大学近くの公園へ行き、久しぶりに木々の緑や池を眺めたときの気持ちの良さもたまりませんでした。

こうした「寄り道」は、それまでの、大学と家の往復でしかなかった道のりに彩りを与えてくれたのです。現実的には、それまで抱えていた悩みは確かに根深く、「一気に晴れる!」というような簡単なものではありませんでしたが、それでも、こうして始めた寄り道の習慣は間違いなく私の救いになりました。

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「今日は〇〇に寄るためにも、頑張って大学に行こう」

それまで憂鬱だった通学が、寄り道というご褒美によって、少しずつ明るくなっていったのです。

いつも地面ばかり見て、そそくさと通り過ぎていた通学路。

「この道にこんな素敵なお店があったのか!」

寄り道という「楽しむ努力」をしてみて初めて、そこにある沢山の楽しさに気付くことができました。 

今となっては、仲良くなった大学の友人と夕食を食べたり、音楽のコンサートに行ったりと、さらにパワーアップした寄り道もエンジョイしています。

来年からは新社会人。
これまでの生活はリセットされ、また新たな環境に飛び込むことになります。「楽しむ努力」を忘れずに、寄り道しながら頑張っていこうと思います。