あれは二年ほど前だろうか。季節はよく覚えていないが、時刻は朝の八時台。通勤途中コンビニに寄り、車を出した直後のことだった。
「……尺八……師範……さん……」
カーラジオから流れてきたローカルニュース。ほかのチャンネルに変えようとして、インタビューに答える男性の声に指が止まった。
(ン? この声どこかで……)
途中からなので詳しい内容はわからないが、県内で活躍する尺八奏者の紹介らしい。折り悪く山に囲まれた峠にさしかかり、乱れる電波。とぎれとぎれの音声から、かろうじてTという名字だけは聞きとれた。
(T……あっ、もしかして!)

◎          ◎

高校時代、Tというちょっと変わった英語教師がいた。四十代前半で二年間担任だった上に、所属していたテニス部の顧問でもあった。
彼はいわゆる熱血教師で、すべてにおいて「熱い男」。体育祭では山から切り出した太い青竹をクラス全員に太鼓のごとく叩かせ、部活でも年中日焼けして熱心に指導。大して強い学校でもなかったのに、試合や遠征にワゴン車を運転し、自分の家庭は二の次三の次。よくもまああれだけ時間と情熱を注いでくれたものだと、今更ながら頭が下がる。

が、十代の高校生にはその熱血ぶりが、ちとウザかった。こっそりあだ名で呼び、彼が教室やテニスコートで熱く語る人生論や説教を(ケッコーいいことを言っていたのだが)右から左へ聞き流したものだ。

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そのT先生の趣味が、尺八。文化祭などの学校行事になると嬉々として披露するのだ。
ピ~ヒャラ、ピ~ヒャララ~。
それなりに曲を奏でてはいたが、上手いのか下手なのかさっぱりわからない。そもそもド田舎の高校生にとって尺八など古くさく、ダサいと馬鹿にしていた。
よって私にとって一番世話になった恩師のはずだが、高校卒業後は会うこともなく、すっかり忘れた存在だった。

それが三十数年後、ラジオニュースという意外な場所で再会した。
ビックリしつつ、すぐに確信。
間違いない、この声はT先生だ。おそらく七十代で、若い頃のような張りはなくかすれてもいるが、独特のしゃべり方はあの頃のままだもの。
だが肝心の内容は聞き取れぬままニュースは終了。しばし呆然としていたが、やがてじわじわと不思議な感動がこみ上げてきた。
(大したもんじゃん、T先生!)
気づけばハンドルを握ったまま、あははと笑っていた。

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そう、「熱い男」は老いても健在だった。教壇からはとうに離れても、尺八の道でいまや権威ある立場らしい。ああ、その奮闘ぶりが目に浮かぶ。単なる趣味に終わらせず、しぶとく根気強く、長い年月精進を重ねられたに違いない。熱い情熱を燃やしながら……。

まさか恩師の消息をこんなカタチで知り、パワーや勇気をもらえるとは。
ニュースがもたらした思いもかけない邂逅。教え子として誇りに思うと同時に、負けてはいられないと背中を押された貴重な体験である。