「2/5はどう?会えそう?」
そう、LINEにメッセージが入ったのを確認して、画面を暗くした。既読はつけないまま、脳内でスケジュールを確認する。その日のスケジュールが空いていることを確認して、ため息をついた。

誰かと予定を合わせるというのは、とても楽しく、憂鬱だ。小学生のときからそうだった。休みの日に誰かと会うことが面倒で仕方ない。学生のときなんて尚更、週7日のうち5日は学校で会っているのに、何故わざわざ土日も会わなければならない。話すネタだってカラカラに尽きているだろうに。

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その癖が抜けないからか、大人になってからも仕事が休みの日に誰かと会うということにストレスを感じる。それが誰であろうと、ストレスの大小は違っても有無は変わらない。スケジュールを合わせるということは、「その休みの日に私はストレスを貯めます」ということの確約なのだ。

かと言って、それらを完全におざなりにできるほど私は自立していないし、孤独を愛しているわけでもない。一人ディズニーだって行けないし、焼肉だって誰かと一緒に味わいたい。ただ、予定を立てたときが楽しくとも、その日が近くなると途端に「行きたくねぇ」という感情が芽生えてしまうのだ。完全なるわがままだと理解しているのだが、この矛盾は恐らく性格の問題なので物理的な解決法は特に無い。

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既読をつけないまま、軽く一日置いておく。そうすると段々、返信をしなければいけないことがタスクとなって私を追い詰めるので、返信が責任感に変わった頃に「会えるけど、後ろに予定があるから早めの解散でもいい?」と返す。もちろん予定などない。己のストレス管理をしているだけだ。

そういうメッセージが毎日あるので、私のLINEのアプリは常にバッジが20以上の通知を表示している。通知の数は誰かとの繋がりの数、と思えばありがたい話なのだが、私にとっては少なからずストレスの数でもある。

海外に留学していた友人からこんな話を聞いたことがある。
「海外の人は普通に既読をつける。既読無視かな?と思わせといて、時間が経ってから返信がある。逆に未読のままだと怒られる」

友人曰く、未読のまま、時間があるときに返そうと思っていたら電話がかかってきて、「どうしてメッセージを読まないんだ」と怒られたらしい。返信なんていつでもいいんだ、既読はつけないと心配するだろう、と。

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日本人の感覚としては逆だろう。既読無視よりも未読無視のほうが多く、「忙しいから読めていないんだな」と勝手に悟る能力がある。海外の心配してしまうマインドも、日本の相手に時間を委ねるマインドも、質の違う優しさである。文化の違いというものは、時として恐ろしい地雷となることを改めて実感した。

私の場合は、会うことを前提としたメッセージのやり取りのときに既読をつけることを逡巡する。くだらない内容のときほど返信は早い。自分のプライベートを誰かに捧げることが少々苦しいという気持ちが、LINEにまで反映されてしまっていて、私はいずれ大切な人を失うのではないかとビクビクしている。