大学2年生の4月、私は血液のがんである悪性リンパ腫を患った。弱冠19歳の春であった。

大学2年生は俗に言う「大学生の中で最も楽しい時間」である。就活もまだ始まらない・大学やサークルで友達も出来、なんとなく学校にも慣れてくる。

これはコロナ禍でも例外ではないはずだ。

コロナ禍の1年生の時、とてもたくさんの人にこの言葉を言われた。「2年生がいっちばん楽しいからね」「2年生はとにかく楽しみな」と。私も「1年間我慢したから来年こそは今年の分も勉強も競技も頑張ろう」と、ずっと心に決め大学2年生を迎えた。 

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4月、授業の準備をしていると急に大学の保健室から連絡が来た。健康診断の結果、腫瘍みたいなのが見えると言われた。

当たり前だが信じられるわけがない。私は生まれてこの方、風邪すらほとんどひいたことがない。長所を聞かれたら「健康体」だと胸を張って言えるくらいであった。しかも何の症状もない。そんな私ががんだなんて絶対に何かの間違いだと思うほかない。

しかし、病院で精密検査を受けると、悪性リンパ腫であった。化学療法である抗がん剤治療をしなくてはいけないらしい。

その結果を聞いて、私は、死ぬかもしれないという恐怖よりも正直やりたかったことが出来なくなることに対するショックの方が大きかった。抗がん剤の副作用や治療の関係で当たり前だが普段の生活は出来なくなった。医者からも競技を止められた。

たくさん泣いた。やりたいことがたくさんあるのに出来ないもどかしさ、悔しさを毎日感じてた。

でもそんな中で、みんなが出来ている当たり前の生活が出来ない私にしか出来ないことはなんだろうとたくさん考えた。そしてこの時期を思いっきり楽しもうと決めた。

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抗がん剤の副作用で髪の毛が抜ける前には髪の毛でたくさん遊んだ。初めてヘアドネーションもした。人生で初めて髪の毛を染めた。

それまでは「絶対に髪の毛を染めたくない」「成人式は絶対にロングでありたい」と思っていた私。しかし、一度たくさん遊んでみると色々な世界が広がった。初めて坊主にしてバリアートも施した。「成人式はロングじゃなくてもいい」「見た目が派手だからといって悪い人じゃない」「たくさんの人が坊主をカッコイイとめっちゃほめてくれる」と知った。

いくらカッコイイと自分では思っていても、正直、女子大学へ坊主で行くことにはとても不安だった。しかし、たくさんの人がほめてくれた。自分の不安がどれほどちっぽけなものであったかを知ると共に自分の世界の狭さも知った。

髪の毛をカラフルにする楽しさも知った。髪の毛で遊んだり、新しい価値観に出会ったことで多様性や自分以外の人を理解しようとする心も生まれた。

初めてウィッグも使った。とても楽しい。ウィッグを着けると全身でトータルコーディネートが組める。使う前の私にとってのウィッグは「かつら」所謂「おじさんが着けているもので不自然」というイメージであった。しかし実際に着けてみると、驚くほどに自然でコスパも良かった。今のウィッグはとても進化している。これも、経験しないと知りえなかった世界である。

また、闘病中は選手として競技が出来ないからこそ、大会の運営や選手のサポートにまわった。これまで当たり前のように進行されていた大会や練習の裏側を経験することで、その大変さをとても身に染みて感じた。

自分が実際に見て経験したことで、たくさんの人により感謝が出来る様になった。これもきっと選手として生活していたら知ることが出来なかった世界である。

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ほかにも、もっともっとたくさんの新しいことを経験した。この期間でたくさんの世界があることを知った。

私は、病気になる前はとても閉鎖的な人間であった。自分が思っていることが正しいと思い、自分とは違う周りを知ろうともしない人であった。しかし、病気になり、自分にしかできないことをたくさん考え、たくさんのことに挑戦すると、今まで見えていなかった世界に目を向けることができるようになった。

私の世界は大きく広がった。同時に自分自身が生きている世界の狭さ、自分が持っていて自分の首を占めていた固定観念や偏見にも気づくことが出来た。

きっと普通に、何も不自由なく生きていたら、何にも挑戦しない所謂「食わず嫌い」のつまらない人間のままであったのではないか。大きな病気を患ったことで、自分が正しいと信じて疑わなかった一直線のレールからはみ出し、たくさんのモノやコトに手を伸ばし、たくさんの「初めて」を経験することが出来た。

このがんの経験は私の視野・世界をとても大きく広げるものであったのだ。