昔、母が口にした言葉の中で、今でも思い出してしまうものがある。
私が5歳くらいの頃、母は私にこぼしたのだ。
「お父さんと離婚したいけれど、お前(私)と弟がいるからできない」
離婚とはどういう意味か何となく知っていたが、当時はざっくりと「夫婦が別れること」という認識だった。婚姻関係の解消や契約破棄と言われても全然ピンと来なかっただろう。
同時に、意味を十分理解していないながらも、寂しさを覚えたことも確かだ。
「こんなに嫌がっているのに、何で両親は離婚しないのだろう」
「そもそも何で結婚したのだろう」
「お父さんはどう思っているのだろう」
そのような疑問を胸の奥底でずっと持ち続けていた。

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20年以上たった現在、両親は変わらず夫婦関係にある。離婚の話題もその時以降、一切聞かなくなった。第三者から見たら、私の両親はどちらかと言えば仲のいい夫婦なのだろう。家族である私から見ても、仲の悪い様子はしばらく見ていない。
私の知らないところで、2人の間に何かあったのだろうか。和解?諦め?慣れ?

約30年という両親の夫婦生活の中で、きっと全部あったのだろう。子どもに隠れて話し合いをしていたのかもしれない。そういう人だから仕方がない、と諦めたのかもしれない。年月をかけて不満が当たり前になったのかもしれない。
家族全体、特に私と弟のことを考えると、両親にとって離婚しないことが正解だったに違いない。
結果、これでよかったのだ。波はあれど、最低限の平和を保てている家族だ。

しかし、私の人生において「結婚する」という選択肢は、早い段階でなくなっていた。
好きな人と結婚したとしても、相手のことが嫌いになるかもしれない。そう認識してから、私は恋愛にかなり奥手になった。
いいなと思う人がいても「いいな」で止まり、好きだと思う人ができても、好意とは反対の言動をとってしまいがち。そして、心を許した人に対して、重くなってしまう。
だから、私は昔から人間関係が苦手だった。特に恋愛については、未だに年齢の割に慣れていないことが多すぎる。「私と恋愛しても、相手にとっていいことはないだろう」という考えが私の中にこびりついている。

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「婚姻」というもの自体が、私には契約的で窮屈なのだ。お互いの相性はさておき、結婚も離婚も労力を要すると、今まで出会った人たちを見て気がついた。仕事や体調管理で日々精一杯な私に、その労力を発揮できる余裕はない。

結婚せず、家族を持たない方が、私には合っているのかもしれない。私の短気で飽き性な性格を、大切にすべき人に見せて傷つけたくない。

年齢を重ねて改めて思う。幼かった私に、「離婚」という言葉をちらつかせないでほしかった。

必要以上に両親の仲を窺いたくなかった。両親が2人でソファに並んで座っている姿を見て、「何か嫌だな」と思いたくなかった。仲のいい夫婦は、ドラマやアニメのような架空上のものだと思い込みたくなかった。

ここ数年の間で、アイドルや俳優など好きな男性芸能人が増えた。最近はある男性K-POPアイドルのファンクラブ入会を真剣に検討している。スマホを眺めている時、SNSに掲載された恋愛漫画につい見入ってしまう。連載ものは追えるだけ追い、関連づけられた別の漫画にもつい飛んでしまう。
「自分は結婚しないぞ」という意思が長かった反動で、恋愛で得られるような感情をエンタメで発散してしまう日々だ。

とは言いつつも、たまに1人でいることが寂しくなる。共感できて、会いたい時にふらっと会って、何となく一緒にいる。そんな関係をまだ知らぬ誰かと築きたいと、密かに憧れている。