先日、結婚式場のプランナーをやっていた友人から興味深い話を聞いた。最近、出会いのきっかけがマッチングアプリだというカップルが多く、そういう人たちのほうがラブラブに見えるらしいのだ。

そういう人たちじゃない人たち、というのは出会いが学生時代とか職場とか。マッチングアプリが無かった時代の出会い方で結婚を迎える男女よりも、マッチングアプリでの男女のほうが幸せそうに見えるという彼女の見解に「ほぉ」と感嘆の声が漏れた。ということは、親世代よりもマッチングアプリを使っている若者のほうが幸せな恋愛を経験しているということになる。

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出会いというのはコミュニティに属していることが必須になる。学校とか習い事とかサークルとか会社とか。そうしないと人は誰かに出会えない。合コンに参加するのだって、合コンを主催できるだけのコミュニティとそんなことができる知人が必要なのだ。

しかし、リアルで築ける人間関係には限界がある。コロナで人との接触を制限されるようになってからは尚更だ。だからマッチングアプリは便利だし、主流になってきたのだろうが、限界のあるコミュニティに比べて手軽に好みの人と出会える。これは人の恋愛の訴求ポイントをうまく突いていると思う。

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マンネリという言葉をよく聞くが、要は新鮮な刺激が必要なのだ。学生時代に出会った人と10年の交際を経て結婚します、という事例の場合、もうその相手の知らないことはほとんど無いだろう。互いの成長と変化がない限りは、飽きがくるのも無理の無い話である。

現在、私の伯父が離婚危機にある。奥さんとの出会いは詳しくは知らないが、離婚危機に陥った原因は酷いものだった。昼ドラの脚本家にネタを提供したいくらいのドロドロの諸事情だ。それでもまだ奥さんと同居はしていて、生活を共にしている。事情を聞けば「早く離婚して離れなよ」と言いたいのだが、本人曰く、情があるとのことだ。

情、って何だろう。愛情か情けか、どちらも引っ括めてか。昼ドラ顔負けのドロドロ惨劇を繰り広げておいて、何をためらうことがあるのだろう。結婚して、恐らくまだ10年も経っていない。離れるのを迷うほどの情なんて、いつの間に育んでいたのだろう。

そう考えてふと疑問に思った。10年の交際は「10年も」と思うのに、10年の結婚生活は「10年しか」と思ってしまう、この感覚の不思議さ。結婚が「ゴールイン」と称されるから、勝手にゴールだと思ってしまうのだろうか。であれば、離婚は何にあたるのだろう。リスタート?自分の婚姻歴にバツをつけてしまうのに、随分と前向きな表現になってしまった。

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伯父と奥さんはまだ、お互いに希望を持っているのだろう。でなければ情なんかで足踏みはできない。救いようのあるナニカが互いに潜在しているのではないか、と僅かな望みに賭けているのだ。

人間とは欲深い生き物だと思う。恋愛にはトキメキ、結婚には安心感をそれぞれ求めておきながら、結婚生活にも同時にトキメキを求める。それがなくなるとマンネリと化し、離婚の香りを醸し出すが、いざそうなると「いや、まだ離れるべきじゃない」なんて言い訳をするのだ。後にも先にも、離婚にベストなタイミングなんて存在しないだろうに。

だったらいっそ、「付き合う」なんて概念を捨てて、男女の関係性は結婚のみで簡潔にしたほうがいいような気もする。付き合うことを結婚とし、別れることを離婚とすれば、離婚に対しての躊躇もなくなるだろう。だってそれはリスタートに過ぎないのだから。