私は10代の頃から人と話すことに恐怖心を抱いていた。
そんな人見知りの私がこの苦悩を乗り越えた合言葉は、これだ。
「私は猫であって、鳥ではない」

私はほんの数秒間、人と会話しただけでも「この人、昨日より声のトーン低い?怒ってる?」「無理に笑ってる感じだ」などの情報をキャッチしてしまい、「私、この人に嫌われているのかな」と勘ぐって緊張してしまう。
どうにかならないものかと思い悩んだ私がとった行動は、雑談やコミュニケーションに関する本を読むことだった。
「1言われたら2で返す!」なんてアドバイスを暗記したりしていた。
けれど、いざその時になると頭が真っ白になって上手くいかない。
「明日こそは上手く喋ろう」「1年くらいで人見知りはマシになるだろうか」などと考えているうちに、私の心はガチガチに固まっていた。

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それから社会人になって1年後の23歳の時、私はうつ病になった。

原因は仕事のストレスもあったが、こういった人間関係の悩みが多くを占めていたと思う。人に敏感すぎたのだ。
相手の一挙手一投足が目について、勝手に苦しんでいた。 

そして、私の職場は所謂ブラック企業で、ご機嫌にニコニコしている人はほとんどいない。仕事中はみんなピリピリしており、私は誰に話しかけるにもタイミングや機嫌を伺ってビクビクと怯えていた。
人一倍に繊細な私の心がぺしゃんこになるまで、それほど時間はかからなかった。

うつ病と診断されて半年間休職した後、会社を辞めた。

退職後は週4のアルバイトをはじめた。幸い仕事の内容も職場の人達も自分にピッタリ合っており、私は心穏やかな日々を過ごすことができた。退職した時期は3種類だったお薬が、1種類に減った。

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そんな生活が1年続いたある日、私はある事に気づいた。
自分が人見知りしている感覚が薄れたのだ。

その理由はずばり、私が間違った期待をしなくなったからだろう。
仲良くない人と30分雑談するのが苦手なのに「私も頑張ればできるはず」と努力した。
これは間違った期待だった。

猫が鳥のように空を飛びたい、という事と同じだ。
私は猫なのだから、空は飛べなくて当然だ。
私ができるのは笑顔でいること。きちんと挨拶をすること。
これが出来れば充分なのだ。
これが正しい期待だったのだ。

そして「私、うつ病でーす!人見知りでーす!ちょっとお喋りが下手かも!すみませんね!」という風に吹っ切れた。
失敗して人に嫌われても仕方がない。
だって私は猫だから。心が「鳥」の枠から外れているから。返答が一般的なものでなかったり、ぎこちなくても仕方がない。

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この経験でやめること、諦めること、自分を許すことのハードルが下がったように思う。
ハードルが下がると心が軽くなる。
そうすると、「ちょっとあの人に声をかけてみようかな」なんて気持ちが湧いてくる。
自然と笑顔も出るようになった。
「コンビニの店員さんに『ありがとうございます』と言えるだけで充分良い人じゃん」とか。
上手く話せず会話が盛り上がらなかったとしても「で、どうなるのだ?」と考えてみると、案外どうってことないと思えたり。

うつ病になってから私が立てた目標は「微笑む」「挨拶は気持ち明るめの声で」。これだけ。すごく簡単な2つだ。
すごく簡単なので必ず達成できる。そして達成できると嬉しくなって、ニコニコしちゃう。
相手にもそれが伝わって和やかな雰囲気になる。なかなか良いサイクルではないだろうか。

最近は人から「明るくなったね」「貴方が人見知り?嘘でしょ?」と言われるようになった。
不思議なものだ。
「私は猫であって、鳥ではない」「病を患っている」「人見知りで人と話すのが苦手だ」と認めたら「人見知りをしない人」と認識されるようになったのだ。

26歳の私は今、間違いなく23歳の頃よりも楽しい人生を送っている。
人見知りを克服しようと奮闘していた苦しみと、さようならできたのだ。
これからも猫として生きていくのだ。