私はある会社の事務職をしていて、社員の離婚を知ってしまうことがある。
社会保険関係の書類や給与の支払い口座変更等の書類を通して知ってしまうのだ。
それを見て「この人離婚したんだな」と思う。書類上でみる離婚はあっさりしてるように感じる。私は書類をひとつひとつチェックし、機械的に事務処理を進めていく。ただそれだけだ。
この書類で「離婚」の事実はわかるが、それに至るまでの経緯や夫婦の想いは全く見えてこない。そしてそれを離婚した本人に直接聞くこともしない。私にとっての離婚は書類上だけの話であり、私と離婚の距離は一定の距離を保ったまま、近づくことも遠くなることもない。

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後日、離婚した社員自ら離婚を報告している場面をみた。
「この度、離婚しまして、名字が○○にかわりますが、引き続きよろしくお願いいたします」
ネームプレートや名刺は旧姓に変わっていた。また離婚した本人の口から「離婚」の文字を聞くことで現実味が増し、私と離婚の距離が近づいた。

その後、離婚した本人と話す機会があった。
「この前、離婚にあたって色々書類出したけど、不備とかはなかった?今回離婚することになって手続きとかいろいろあるんだと初めて知ったよ。離婚して思うところが色々あるんだけど、仕事はきちんとやりますので何かあればよろしくお願いいたします」
と言って軽くおじぎをして去っていった。
離婚に対し多くは語らなかったが、発言や表情、仕草などから少しだけ本人の感情が垣間見えて、離婚はだんだんとかたちを帯びていく。さらに私と離婚の距離は近くなった。

数日後、他の社員が私に話しかけてきた。
「○○さん離婚したって聞いた?なんか離婚とかしなさそうな人だから意外だよね。夫婦関係うまくいってなかったらしいよ」
「そうなんだ」とだけ言い、仕事が残っているからと言って私はその場を立ち去った。夫婦関係がうまくいってなかったという情報が本当か嘘かはわからない。私と離婚の距離が遠くなったような近くなったような気がした。

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離婚の報告を受ける側にとって離婚との距離は変化する。

離婚の原因や経緯、離婚した夫婦の感情を知れば知るほどに離婚の距離感は近くなっていく。一方で第三者の根拠のない離婚にまつわる噂は離婚との距離感を近くさせるような遠くさせるような感覚になる。

離婚の報告を受ける側はどのような距離感がよいのだろうか。ただ離婚の事実を知るだけで、距離が遠いままのほうが良いのかもしれないが、そうとも限らない。離婚に対して本人がどう思っているかを知っていることで配慮や気遣いができることもあるだろう。
でも離婚との距離が近くなったところで離婚という事実は変わらない。また、離婚は夫婦二人のことなのであって他者が介入できるものではない。離婚が夫婦の決別を意味するのか、夫婦が離婚という方法を取っただけで新たに関係性を築くのかもしれないし、どうしようもない事情があり離婚という方法を選ぶしかなかったのかもしれない。

わからないから離婚の報告を受けた側は距離感をはかりながら対応を考えていくしかないのだろうか。

実際に自分自身が離婚を経験したらまた考えは変わるのだろうか。私は誰かの離婚を書類を通して知るたびに離婚との距離感を考えている。考え続けるのかもしれない。