祖母は毎年兄にチョコレートを渡す。色鮮やかな箱に、カールが緩く巻かれたリボン。その洗練された箱は私にとっては永遠の憧れである。
私は兄の横からどんなチョコレートが入っているのかを覗き込むことが恒例行事。箱を開けた瞬間に広がる光景と言ったら。甘くてとろけそうな匂いがふわっと鼻に入ってくると同時に、小さくて、きらきらしている、宝石みたいなチョコレートが一糸乱れることなく整列している。
鼻をふがふがさせながら、目の前のチョコレートと同じくらい目を輝かせ、「美味しそう!!」と唸る。でもこれは兄がもらったものだから。祖母が兄のために選んだものだからとなんとか出そうになる手を引っ込める。いいなあ、いいなあ。足をじたばたさせながら「私も男の子だったらもらえたのにな」と思うのもこれまた恒例。
兄が一粒つまみあげる。その一粒が美しいことこの上なし。パクっと口に放り込んだ瞬間、体の軸がなくなったかのようにふにゃふにゃしだす兄。「んん、んまい」と唸るその姿に、「私にも頂戴」とこの上なく力強い目力で兄を見つめるが気づく気配は一ミリもない。
もう諦めるしかない。チョコレートの甘い匂いだけ楽しむこととする私。それでも幸せなのである。兄は少しずつチョコレートを食べていく。残ったものは冷蔵庫で保管。冷蔵庫を開けるたびにあの綺麗な箱が嫌でも目に留まる。だから、そっと手を伸ばして箱を開ける。チョコレートの空席は日にちが経つにつれて増えていく。
それを見るたびに悔しくなるのではなく、「おばあちゃん、お兄ちゃんが食べてくれてるで」と嬉しく思うのである。
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一方の私は毎年祖父にチョコレートを渡す。買ったもの、作ったもの、毎年バラバラである。どちらにしても祖父は「お、ありがとう!美味しいわ」と喜んでくれる。
買うときも、作る時も、私は祖父のことを考える。甘いものが好きだけど、大人だから、「ビター」って書いてあるものがいいかな。おじいちゃんだったらこのデコレーションを付けたほうが喜んでくれそうなど。
頭の中を祖父でいっぱいにして買ったり作ったりしたチョコレート。その気持ちに応えてくれるかのように、ピンク色の頬をして柔らかな笑顔でチョコレートを食べている祖父を見るのが私の大好きな瞬間だ。
私は現在大学生で、地元を離れて一人暮らしをしている。でもニ月は春休み。すぐに実家に帰る。
久々に実家の冷蔵庫を開ける。目が留まった。綺麗な箱に。「今年ももらったんやな」と思いながらそっと箱を開ける。チョコレートの空席は二つ。残りのチョコレートは綺麗に座っている。そして、美しい。
祖母が兄に一生懸命選んだ様子が目に浮かぶ。嬉しい。兄が仕事から帰ってきて、チョコレートを頬張る。「私にくれてもええんやで」とあの頃のかわいらしさは0の脅迫じみた声と目つきで兄に迫るが反応なし。いつものことだ。
そして私も帰郷する前に祖父へのチョコレートを買った。渋い群青色の箱に小さなチョコレートが六つ。今年も祖父が喜ぶ顔を頭いっぱいにして選んだ。
祖父に渡すと、毎年変わらないあの笑顔で喜んでくれた。でも机に置いたまま、昼寝を始めた。米寿を迎え、物忘れも多くなった。だから、私がチョコレートを渡しに来たことも、起きたときには忘れてしまう。
それでもいい。起きたときに「あやちゃんがさっき持ってきてくれたよ」と祖母が言ってくれる。すると絶対にまた「そうか、嬉しいわ」と喜んでくれることをわかっているから。
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もう何年も何年も我が家のバレンタインデーは祖母は兄に、私は祖父にチョコレートを渡す。毎年変わらないやりとりをしているようでも、月日の流れとともに祖父母も兄も私も年齢を重ねていることを実感した今日。
それでも大切な祖父母を想う恒例行事。仲良し(?)兄妹のやりとり。こんなバレンタインデーをこの先も過ごしたいから。おじいちゃん、おばあちゃん、元気にすごしてね。