私がお菓子作りに手を出したのは、やっぱりバレンタインでのチョコ作りが最初だったような気がする。

母と2人でキッチンに立って、チョコを溶かした。溶かしたチョコをシリコン製の型に流し込んで冷やしただけの、簡単チョコレート。もはや材料はチョコのみで、溶かして固めただけということは買ったばかりの材料を食べても同じ味がする、ただのリメイクでしかなかったのだが、それでも楽しかった。

母と作ったということも、自分の手で何かを作り出したということも。

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それが小学校低学年のときの話で、小学校高学年にもなると母は一緒には作らなくなった。元々そういうことはめんどくさがるタイプの母であるため、私は手作りなのに対し、母は母で市販のチョコを用意するようになった。
そんな私が小学生のときは、友チョコなるものが流行っていた時期で、仲良かろうが何だろうが、クラスの全員にチョコをあげるのがセオリーだった。私は好きな男の子もいなかったため、男子もまとめて全員が友チョコの対象で、クラス20人分と親戚に配るためのチョコを、バレンタイン前には1人で作り上げたものだ。最早ちょっとした業者である。

しかし、小学校6年生のとき、私はやらかしてしまう。チョコの数が足らなかったのだ。学校に持って行って、先に女子に配りきってから気がついた。まずい、男子の分が1個足らない。
どうしようか迷った挙句、私はそのとき隣の席だった男の子に正直に事を打ち明け、今日作り直して明日持ってくるから待っていてほしいと頼んだ。男の子は「わかった!」と言っていたが、今思えば、別に好きなわけでもない男子のために改めて作って持ってくるという自分のいい人さに惚れ惚れする。

まぁ、それくらい当時の私にとってはバレンタインとは友情の証だったのだが。

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家に帰って、早速お菓子カゴを漁った。私の家には常にお菓子が置かれている専用のカゴがあったのだが、そのときにあったのは袋入りのアソートチョコが少しといちご味のポッキー、あとは使えないお煎餅とかスルメだけだった。
みんなには生クリームを使った生チョコを渡していたのだが、明日持っていくのに買いに行く暇もなければ、そんな手の込んだものは作れない。仕方なく、あるだけのアソートチョコ(ビターやミルクやホワイトチョコすべて)を混ぜて溶かし型に流し込んで、いちご味のポッキーを砕いてチョコレートの上にまぶした。

冷やし固めたそれをラッピングして持って行った。しかし、渡すことに躊躇してしまう。だってみんなには生チョコなのに、彼には有り合わせで作った、冷やし固めただけのなんちゃってチョコレートである。クオリティが違いすぎる。
私はこれまた正直に「有り合わせで作ったから味の保証はない」と告げ、チョコを渡した。ところが彼はその場でチョコを食べ、「うまっ!」と叫んだのだ。
「え!やば!うま!」

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当時の彼は、小学生男子らしいデリカシーの欠けた人物だった。故に、不味いものは不味いと言うし、変なものは変と言う。そんな彼が、私が有り合わせで作ったなんちゃってを美味しそうに平らげたのだ。これが心底嬉しかった。

以降、事ある毎に「また何か作ってきてよ」と頼まれるようになるのは若干めんどうだったが、嬉しいことに変わりはなかった。

今でもお菓子作りは好きである。バレンタインも必ずチョコを作り、大好きな人たちにあげている。今はそのメンツに彼はいないけど、これから先も私のお菓子作り人生を支えているのは、彼の「うまっ!」なのだろう。