昔から「おかたづけ」というものが苦手だった。

片付けベタの家事ベタ

血液型占いで照らし合わせれば几帳面でマメな性格という事になるが残念ながら私はその対偶にいる様なタイプらしく、小学校の通知表の整理整頓を評価される欄はいつも「がんばりましょう」に印のついている子どもだった。「大きくなったら出来るようになるのかな」とうっすら期待したりもしたが決してそんな事はなく、未だに片付けの類は下手なままだ。

家事というのはマイナスをゼロに戻していく作業だと思っている。料理にしろ洗濯にしろ、最後は「汚れた場所を片付けて、使ったものを元の場所に戻す」という工程を経ておしまい、というストーリーがある。加えて手先が極めて不器用な私は、そもそも得意な家事というものがないに等しい。

成人というカテゴリーに分類されるようになってそろそろ十年以上が経とうとしていた折にひとり暮らしを始める事になった。降って湧いたように急遽決まった事だったので、揃えるものも取りあえず、と最小限に荷物をまとめて新居へ引っ越した。

最低限の衣服や貴重品だけで始まった新生活の中で、ひとり暮らしののびのびとした自由さを満喫しながらも「たった一日でここまで散らかるのか」とか、「ご飯作るの面倒だな……出前頼んじゃおうかな~」と生来のズボラさと面倒くさがりの性格が早々に顔を出し、マメでも掃除好きでもないけれど、どうにか綺麗な部屋で生活したい!と強く思うようになった。

そこで、自分が心地よい暮らしを続けていく為に試行錯誤を始めたのだ。夏休みの観察日記をつける時のような感じだが、あくまでも義務ではないので肩の力を抜いて自分の好きなようにやっていこう。きちっとした枠にはめた事が苦手な自分の性格を見越したうえで実験を始めた。

丁寧に暮らせる器量はないけれど

自分で自分の生活について観察を始めて気が付いたのが、「思っているよりも外でエネルギーを削られてしまう」という私自身の弱点だった。仕事はもちろん、友人とのお出かけといった楽しみにしている予定であっても、家に帰って来るともう何もしたくないと思ってしまうほどに疲れ切っているのだ。「人様に粗相のないように、迷惑をかけないように」と他の人よりも用心して行動しているからなのか酷い時には着替えや食事も出来ないくらいだった。

そうは言っても他人と全く関わらずに生活していく事も、仕事をせずにいる事も不可能に近い。そうだとしたら、自分の落ち着ける場所である家の中では疲れてしまう物事は最小限にしようと決めた。

その中でも難しかったのは「普通ならこうするのに」とか、「女性なのにそれはズボラ過ぎるんじゃ」という自分の中に湧いてしまうこうあるべき、という固定観念を捨てていく事だ。

世間でいう「丁寧な暮らし」に憧れはあるものの、それを出来るだけの器量や体力は自分の中に備わっていない。理想と現実を受け止めてひたすら楽に、継続できるようにという点だけを突き詰めた。ひとり暮らしを始めたばかりという事で物が少ないというのも手伝って、物の管理はとてもしやすかったのも一助になった。

自由に、伸びやかな無理のない暮らし

こうしてトライアンドエラーを繰り返しながら負担になりすぎない家事のやり方を確立していった。洗濯物はハンガーで干して、畳まずにそのままラックにかけて収納。外出する際にシワが気にならない様にする為にノーアイロンを謳っている服を着るようになり、掃除もハードルを下げる為に掃除機ではなく時間を気にせずに利用できるフローリングシートを使う。この時に床が物であふれているとやる気が一気にそがれてしまうので簡易的な物の一時置き場を作り、そこへ入れておく。

几帳面な方からすれば「なんてズボラな……」と呆れられてしまいそうだが、大切なのは自分をいかに疲れさせないかという事なので気にしない事にしている。億劫だった料理に関しても、レトルトや冷凍のカット野菜などを上手く活用すれば仕事から帰って余力があまり残っていない状態だとしても温めるだけ、少し炒めるだけで食事を作る事が出来る。

もちろんこれはひとり暮らしだから出来ている事なのかもしれない。パートナーや小さな子供がいれば汚れものの頻度も部屋の散らかるスピードも段違いだろうし、「お皿洗うの面倒だから、鍋のまま食べるか!」なんて大胆な行動は出来ない。

それでも今は、自分の思うままに過ごせるという最大のメリットを享受しつつ丁寧ではない無理のない暮らしを続けていければと思う。