私の友人には親が離婚しているという人が多かったため、親が離婚しているからといって、その子に対して何か特別なことを思うことはなかった。少なくとも、現在はそう思っている。

田舎の狭い社会だったこともあり、友人のご両親の離婚理由はだいたい把握していた。どれも離婚はもっともな理由で、仕方ないなといったものから、相手が一方的に悪いな、と思うことまで様々だった。

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その親たちも離婚に関して、時には明るく話したり、時には普通に接してくれたり、時には悪口を言いながら怒ってみせたりしてみたが、おそらく心の奥底の見せないところでは、もう取り返しのないくらい傷ついているんだろうなというのを子供ながらに感じる時は、会話の節々にあった。そして徐々に離婚はセンシティブな触れてはいけない話題になっていく。離婚したからといって、その人への印象が何か変わることはない。それはきっと、相手の人もほっとしたことなんじゃないかなと思う。

親が離婚した子たちも、普段の生活では何もないかのように振る舞ってはいる。しかし、親が別れるというのは、少なからず傷ついているようだ。親が離婚した人どうしで悩みを打ち開けたと聞いた時は、私にこの子は救えないんだなと思った。確かに、私の両親はものすごく仲がいいとまでは言えないものの、離婚の危機に陥ったこともないし、お金に困ったこともない。結婚して30年が経った今も、仲が悪くはなく、普通に会話もある。そんな私には、彼、彼女らの心情を理解してあげられないところもあるのだろう。子供ながらに当時は、(母親に育てられている子であれば)父親の話をしないとか、そもそも親の話をしないとか、旅行などといったお金を使う家族イベントの話をしないなどの気は遣っていたと思う。

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親が離婚した子達から大人になった今だからこそ聞く話もある。当時、おそらくお金に困ってはいなかったものの、やはり、気を遣ってしまい、友人と遊びに行くことができなかったこと。レベルの高い大学に受かっていたものの、奨学金の出る偏差値の低い大学に行かざるを得なかったこと。それから、もう何年も会っていない、もう一人の親へのどうしようもない怒り。こういうのを見ていると、いくら離婚は増えている、私らしく生きるには必要と叫ばれているとはいえ、子供への影響は計り知れないのだと思う。

そんな私も大学に入り、バイトを始め、いろんな境遇の人と会うようになった。子供の頃はなんとも思っていなかったはずなのに、どうしても、親が離婚している、と聞くと、一瞬、ん?と思ってしまう。そんな自分がだんだんと嫌になる。ひとり親世帯の子達が、授業に行かずにバイトに勤しんでいたり、携帯代の支払いを自分でしているところを見て、なんともいえない、もどかしい気持ちになる。だからといって、私は親からの支援をやめることはできない。彼女たちの苦労をわかったふりをしつつ、自分は安全圏にいることを思い知らされる。

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就職して結婚式に出るようになった。親が離婚した子達の中には、もう片方の親を呼ぶ子もいれば、呼ばない子もいた。そういう話を、私と同じく両親のもとで育った友人に話をしたりすると、「親が離婚していると恥ずかしくて式なんてできなくない?」なんてひどいことを言う人もいる。私は、その昔の友人を、まるで私の一部のように喜びも苦しみも分かち合ってきたような自負を感じているところもあるため、その言葉を聞いてモヤモヤしたりする。

でも、私はおそらく、真の意味で、相手のことをわかっていないと思うし、相手にわかってもらいたいとも思われていないだろう。そう言う人たちから見れば、私だってもしかしたら、恵まれた、幸せな家庭で育った、理解してくれない人、なんて思われているのかもしれないのだから。私に察してもらいたいなんてきっと考えてもいない。どう接すればいいか、私はまだ答えが見つかっていない。